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38歳、芸大受験してみた。

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37歳で東京藝大音楽学部楽理科受験を思い立ち、半年後に本当に受けてしまった38歳(当時)フリーライターの体験記。 ※受験相談のコメントやメッセージを度々いただきますが、基本的に返…
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#体験記

38歳、藝大受験してみた。④

38歳、藝大受験してみた。④

音大受験をするのになぜ音楽の勉強をする前からセンター試験のことを考えたかというと、音楽はゼロからのスタートになる、つまりどんなに頑張ったところで音楽畑で育ってきた高校生よりできるようになることはない。となると、勉強の方でかなり上位に食い込まないことには受かる可能性など皆無だと考えたからだ。具体的には…

センター試験の最終目標、9割。

模試はそこにどの程度の努力で辿り着けるか(あるいは全く辿り着

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38歳、芸大受験してみた。⑫

38歳、芸大受験してみた。⑫

3月6日、3日間に及ぶ二次試験はまず小論文と和声から始まった。結局一度もレッスンを受けられなかったM先生から言われていたのは、小論文は音楽学の知識を見るものであって、ただ自分の考えをうまく書くだけでは意味がないということ。つまりプロのライターであることは何の助けにもならないと分かってはいたのだが、何しろ音楽学の文献を読んでおく時間は、今年に関しては確保できなかった。そこで私の作戦は、とりあえずどん

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38歳、藝大受験してみた。⑪

38歳、藝大受験してみた。⑪

音楽の勉強というのは語学に似ていて、短期集中でどうにかなるものではなく、徐々に体に馴染ませていくものだ。よって、以下に紹介する私のラストスパートにおける勉強法は決してお勧めできるものではないのだが、この連載は参考書の類いではなくあくまで記録目的のものなので、思い出せる限り詳細に記してみる。

まず、和声と聴音。

2回目にして最後のT先生の和声レッスンの際、受験問題に似た課題をいくつかいただいてい

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38歳、藝大受験してみた。⑩

38歳、藝大受験してみた。⑩

センター試験の結果が私に何の啓示も与えてくれなかったため、当日から藝大出願の締め切り日までの約2週間、私は一応は勉強を続けながら、でもこれ絶対間に合わないよねとの思いを強くしながら、ちなみに仕事も結構しながら、何よりなんらかの啓示を待ちながら過ごした。だが啓示は向こうからはやってこず、気付けば締切2日前。とりあえず出願要項を改めて眺めてみることにした私は、高校からの内申書が必要なことにここで初めて

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38歳、芸大受験してみた。⑦

38歳、芸大受験してみた。⑦

そうだ、週1回ピアノを習い、そしてレッスンの日は仕事を入れずに受験勉強をする日にしよう。私がそう思い立った頃、たまたま姉も娘(=私の姪)のためのピアノ教室を探していたようで、姪が通う幼稚園に付属の教室に、これまたたまたま芸大卒の先生がいることが分かった。逆言霊信仰のある私はこの時点ではまだ、姉にも受験のことは話していなかったというのに!しかも、姪の幼稚園は私の家の近所。さっそく体験レッスンを申し込

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38歳、芸大受験してみた。⑥

38歳、芸大受験してみた。⑥

オープンキャンパスで呼ばれていると思い込み、受験を決意したのが7月半ばのこと。その際に大学で過去問も入手したのだが、当然ながらまあとにかく一から十まで意味不明であった。回答を求めて赤本を手配しつつ、すべての基礎になりそうな「楽典」という本をまずは購入して読み進めつつ、いろいろな人に会ってみることに。しかし私には、願いは口に出すと叶わないという「逆言霊信仰」がある。

ただし、口は羽のように軽い。

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38歳、藝大受験してみた。⑤

38歳、藝大受験してみた。⑤

お目当てだった楽理科の説明会および模擬授業は、お目当てだったのに申し込みしそびれるという失態により、気づいたときには締め切られていた。だがせっかく予定を空けてあったので、オープンキャンパスには行ってみることに。全体の説明会や演奏会といった申し込み不要のイベントに参加し、大学の雰囲気を見てみようという試みである。またもや子どもたちの中で浮かなくてはならないのかと、模試の経験を踏まえて心配したのだが、

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38歳、藝大受験してみた。③

38歳、藝大受験してみた。③

昔から運命論者なところがあるというか、迷ったときは「これはやれってことだね」あるいは「やるなってことか」と思わされる何かしらの啓示がないと決められない、他力本願な性格だ。そうだ、音大に行こうと思い立って最初に見た東京芸大のアドミッションポリシーに「やるなってこと」と思わされていたら、その時点で断念していたことだろう。そうやって軽率にいろんなことを思いつき、そして軽率に諦めてきた人生だ。だがアドミッ

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38歳、藝大受験してみた。②

38歳、藝大受験してみた。②

音楽を勉強してみたいと思った最初の目的が跡形もなく消え去ったあとにも、その気持ちだけは消えなかったことにはいくつかの理由がある。まず仕事まわりのポジティブなやつから言うと、ミュージカルについて書くことの多いライターとして、音楽を描写する語彙を増やしたかったこと、そして持論に説得力を持たせたかったこと。特に…

日本ミュージカル界は音響への意識が低い!

ともう何年も前から一人で吠え続けているのだが

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38歳、藝大受験してみた。①

38歳、藝大受験してみた。①

きっかけは、何度か取材させてもらったことのある音楽監督の一言だった。ミュージカル『レ・ミゼラブル』を日本初演から支え続け、今では世界のレミゼ関係者にその名を轟かす名物監督的存在となっているB氏。日本レミゼ30年の栄光の歴史の立役者、といっても過言ではないその功績が大きすぎて、この人がいなくなったら日本レミゼはどうなるんだろうと思い、取材後の雑談タイムに後継者の有無を聞いてみた。すると…

「誰かい

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