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人生で覚悟を決める場面はそんなに無いけれど、今。


母の誕生日だった。

誕生日だからと言って、きまって電話する習慣はなかったけれど、今年はなんでか母の声が聞きたくなった。

「誕生日、おめでとう」

そう言うために電話をしたのに、最近ようやく覚えたビデオ通話に出た母の第一声は「わぁ〜メメちゃんの顔見れた〜!ちょっと痩せた?もう晩ご飯食べたの?ちゃんと食べないとだめよ。」いつまで経ってもおんなじの、そんな言葉だった。お母さん、もう私、29歳にもなったんだよ。分かってる?

「また帰った時、誕生日会しようね」

切る時にそう伝えると、「長野に帰ってきて」って、またそう言うから。すごく寂しそうで切実で、お母さんのこの声が聞きたくなくて、こまめに連絡が取れないんだったということを思い出した。こっちで生きることを選んでしまって、ごめん。なかなか帰れなくってごめん。そしてこの先ずっと、長野を離れて生きていく決断をしました。それも、ごめん。


◇◇◇


「今から帰るね」それだけを伝えて急いで買った切符は、そのまますごい速さで私を東京から長野の故郷へと戻してくれる快速だった。お母さんの「帰ってきて」は、そういう意味の帰ってきてじゃないことくらい十分に理解しながら、それでも私は往復切符を買い続ける。



お母さんが、新聞をめくる音。アイスコーヒーの氷がグラスにカランと触れる音。チン!とパンが焼ける音。お父さんのスリッパがパタパタとせわしなく台所を行き交う音、聞き慣れた電子レンジの「ピロリロリロリ」という音、“お風呂がわきました”という電子の音声。

「あぁ、家に帰ってきたのだ」と、そう感じる瞬間は、今まで気付くことがなかったけれど、こういう、人工的な音だったのだと分かる。

“長野の実家”といえば、トンビのピーヒョロヒョロヒョロという鳴き声や、稲穂が風で一斉にサワサワと揺れる音、カエルの大合唱、蝉しぐれ…私が故郷を思う時、懐かしく感じるのは、そういう自然の音なのだと、どこか形式的にそう思う部分があった。実際にそういう音に包まれた暮らしをしてきたのは事実だから。

しかし、実際に帰ってくると、それよりももっと内側で鳴る、人が生み出す音たちのほうが、ありありと実感する「生活の音」であり、それこそが「安心」の象徴だったのだと気付く。

お母さんが洗濯物を干している姿を見ながら、なんだかふと、涙が出そうになる。

ずいぶんと、小さくなったような気がした。
気がするだけで、実際に話すと口調はなんら変わらない。変わらないけれど確実に増えたシワや、会話の節々に挟まれる「内視鏡検査」だとか「胃カメラ」だとかのそういうワードに、ギュンと胸に差し迫るようなものを感じる。

お母さんは私がそんなふうに思っていることなどつゆ知れず、いつも通り田舎特有のゴシップと、テレビの中の情報と、娘の将来についての小言で忙しい。


「もう春風みたいだね」ふいにお母さんが言ったその風は確かに、例年の長野では感じる事のない、暖かな風だった。今年の雪は、すぐに溶けた。


◇◇◇


きみのため 用意されたる滑走路
きみは翼を 手にすればいい

萩原慎一郎「歌集 滑走路」



***


高校1年の頃、キャンパスノートに「高校やめます宣言」を書いてお父さんに手渡したことがある。

あの日から少しずつ、お父さんは何も言わずに私の部屋に色んなものをそっと置いていくようになった。ある時は本。ある時はCD。言葉は何も無かった。想いを作品に託していたのだと思う。

当時、私はその本を一切読むことは無かったけれど、今になってようやく表紙を開いてみると、少女がドラムスティックだけを握りしめて、アメリカの地で己の道を切り拓いていく痛快作で、そのむこうみずな所が16の頃の私によく似ていて、この本をお父さんが選んだ理由を、10年越しにして知った気がした。

それでも1枚だけ、あの頃に聴いたCDがあった。尾崎豊のアルバム『17歳の地図』だ。

ハイスクールROCK'N'ROLL、傷つけた人々へ、僕が僕であるために、I LOVE YOU、15の夜、17歳の地図、OH MY LITTLE GIRL...尾崎の名曲が詰まった古いアルバムだった。

尾崎を聴きながら、歯を食いしばって思った。死ぬもんか。泣くもんか。こんな名曲を作れるくせに、才能があるくせに、それでも死んでしまうヤツもいるんだよな。反面教師みたく、そのあとは、人を死なせないための職に就いた。生きて生きて生きていきたいと思えた。あの時、退学を選ばなくて良かったと思えた。退学せずに、ちゃんと高校を卒業して良かったと思えた。看護師になって良かったと思えた。就職して親友たちに出会えて良かったと思えた。転職して、上京して、この街で生きられて、とてもとても良かったと思えた。

終わりよければすべてよしと言うのは、その終わりでいいと思えるこれまでがあったからだ。全部、地続きだから。

もしもう一度生まれ変わることがあるのなら、私はもう一度、私のこの、同じ人生を歩きたい。

辛かった過去も含めて、また、同じ人生を生きたい。

心から、そう思う。


◇◇◇


「私、結婚指輪なんか要らないから、アメリカの大地・ROUTE66を、アメ車で横断したいの。」

お父さん、お母さん。これから人生を一緒に生きていく人は、私の様々な突拍子もないような発言になんら驚かず、「楽しそう、メメの夢、一緒に叶えたい」って、隣を歩いていてくれる人です。

愛情深いと自負していた私の100倍、彼の方が愛情深く、この世界でいちばん私のことが好きなのは、どこを探してもきっとこの人なんだろうなって、笑って降参してしまえるくらい、大切に思い続けていてくれる人です。

愛するって決めたから愛して、
信じるって決めたから、もう、信じていくだけ。

家族にしても、親友にしても、何処にいるかは関係ない。大切に思っている気持ちがあれば、いつでも会える。声が聞ける。繋がっていられる。

だから私は、本当の意味で、ふるさとを去ります。

これからも往復切符を買って、何度だって帰るから。近くにいるということが、すべてではないよね。人を大切に思う気持ちは、複雑で単純で難しくて明確で、だから、あらゆる正しさに向かってひたむきに歩いていくことでしか、満足も納得もできない。それでも歩んでいきたい。


29年生きてきて、ここが正解の場所だと思えていることが、何よりも、私の幸福です。

MONDO PIECE





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