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【私が病気になるまでの話4】


前回までのおさらい。
母の病気を聞いて数ヵ月後先輩(A先輩とします)と付き合うことになりました。

A先輩と付き合い始めてから、お母さんが病気であることよりもA先輩を優先することが多くなりました。その頃はまだ母は1人で家事も仕事もこなせていたので、心配は杞憂だったと思っていたからというのもあります。

普通の高校生が恋愛したら、恋に夢中になりますもの。
今そんな行動をとったら許されないと思いますが、高校1年生の私は許してもいいかなと思っています。

学校の近くのスタバでずっと喋っていたりとか、公園で夜まで喋っていたり…、本当に親に心配かけました。でも練習だけはサボることがなかったので、睡眠時間4時間程。よくある話ですよね…。

迎えた冬休み。
A先輩とも仲良くやりながら、母のお見舞いに行ったり、練習、勉強、家事、やることがだんだん増えていき、この頃は『母が帰ってくるまでは家事私がやるんだ!』と。母に褒められたくて、退院したときに母が掃除に追われないように頑張っていました。

初めの入院は3日。それが延びて1週間になり。退院したと思ったら3週間後にまた1週間入院。
私は少しずつ顔を出してくる"不安"を気にしないように生活していました。

そして元旦。母は入院中で実家に帰ることが出来ませんでした。もしかしたら母の病気は加速しているのかもしれない、と私は幼いながら悪い予感がしていました。



そしてその予感は的中していたのです。


とっくに手術で取り除いたはずの癌が、違う場所にさらに強い力を持って再発していたそうで。癌は移動するのか、とその時初めて知った私は、携帯で出来るだけ癌のことを調べました。
ですが、調べれば調べるほど癌のことはわからなくなりました。

・治るかどうかは人それぞれ
・1度治っても数年後に再発することもある
・リンパを巡って癌は移動する
・救えないレベルにある癌もある
・治療法として進行を止めるだけの方法がある

この頃に確か母は肺炎も患いました。
夜とても苦しそうにソファに横たわって、兄が世話をしていたのをよく覚えています。私はその光景を背にして練習に行きました。練習を取るか母との残り少ない時間を大事にするか…今その場面に遭遇したら、どうしたらいいかわからなくなってパニック障害が出ていると思います。

両親は私に母がどんな治療をしていて、どのくらい悪いのか教えてくれませんでした。それと同時に私から聞くこともありませんでした。
私はA先輩に『母が癌で…お弁当も自分で作ってて、入退院を繰り返してるんだ。』と、打ち明けて相談にのってもらおうと思いました。
A先輩はすごく驚いた様子でしたが、A先輩の親族にも癌の方がいらっしゃったようで、『宣告された余命よりもずっと長生きしたよ、だからまだ失望しなくていいんじゃないかな』というようなことを言われました。(文言をはっきり覚えていないのと、初めて相談した時に言われたのか、もっと後だったかは定かじゃないです。)
ですが、私は母がよくならないことを口には1度もしませんでしたが悪くなると確信していたので、A先輩に言われたことは失礼ながら内心『あなたの知ってる状況と違うの、そんなこと言われても虚しくなるだけなんだよ…』と思っていました。慰めてくれているとわかっていたのに、それを素直に受け取れないほどに私の心は複雑に絡まり始めていたようです。

私はこの時期から必要以上に気を張っていたんだと思います。彼氏にも本心が言えなくなり、家族、特に母の前では明るく振る舞い、テキパキ家事をやり、練習をし、彼氏の悩みを朝までLINEで聞いたり、お弁当も家族のご飯もしっかり作り、学校でもいつも通りクールな自分でいて、何もかもが完璧でした。

しかし、よく考えてみてください。高校1年生。17歳になったばかりで、音楽をやるような感性豊かな子供がそんなにいくつもタスクを片付けて、周りに迷惑をかけないようにとばかり動いていたら少し恐くありませんか?サイボーグか何かじゃないか、とか。



おかしい。普通じゃない。あなたの時間はどこにあるの?





もっとずっと早く問いかけるべきだったとも思いますが、致し方なかったかなとも思います。
私が家事をやらなくては他にやってくれる人はいないし、彼氏彼女の関係で代わりはきかないし、練習は音楽家を目指す上で必須ですし、何度も入院する母のことは心配だし。

どうすることが正しかったのでしょうか。
未だにわかりません。

この時期は大体高校1年生の秋頃のお話。

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