Ryuichiro Kikuta

速く歩けません、ペンギンなので。 感想などこちらからいつでもお待ちしています→ rk4…

Ryuichiro Kikuta

速く歩けません、ペンギンなので。 感想などこちらからいつでもお待ちしています→ rk4078@nyu.edu

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エスプレッソとイタリア人と中学生の僕

数週間前に通訳として、イタリア人数人がチームで仕事するのを側で観察したときのこと。仕事が煮詰まってきたとき、リーダーが一番若いメンバーにエスプレッソを持ってくるように指示した。カプセルをマシンにセットして、人数分のエスプレッソが出来上がる。それを持ってお互いに小さく乾杯して、エスプレッソをぐいと飲んで仕事に戻る姿が、強く記憶に残っている。 僕がはじめてエスプレッソを飲んだのは5年前の、中学3年生の冬だった。自由が丘にある塾で、同じクラスだった当時高校1年生の先輩と一緒に、授

    • さあ素直になって書こう。

      ニューヨーク大学も3年目くらいになると経験が蓄積されるもので、たとえば授業や課題など、過去の経験に基づいてある程度見立てをつけられるようになるだろう、と、入学したときには思っていた。だから、3年目になった今でもまだ、大学生活のなかで新しい発見がたくさんあることに気づくと、驚くとともに喜ばしい気持ちにもなる。 はじめて受けている比較文学の授業のこと。英語を外国語として話す学生は僕ただひとり、そこに毎回文学の歴史のなかでもトップクラスに高度な語彙や文章構造を用いることで有名な作

      • 太陽はひとりに一個ずつ

        太陽の光が窓の外から差し込んで、二段ベッドのうえの僕の身体に触れるのを感じながら目を覚ます。シャワーを浴び、すっかり長くなった前髪を鏡越しに見て、つぎはいつ髪を切りに行こうか考えながらドレッサーへ向かう。春が待ち遠しくて、きっと外は暖かいだろうと期待しながら薄手の長袖に深緑のコートを羽織り、コーヒーを買いに行く。やっぱりこれでは寒かったとコーヒー片手に駆け足で部屋に戻り、ブランケットに身体を包みながら椅子に腰掛ける。大学の授業の文献とか趣味で買った本とかそういうのをぱらぱら読

        • 学校で学び、街で学ぶ ー「壁のない大学」で学ぶほんとうの意味

          学校で学び、街で学ぶ、それが僕のスタイルである。片方だけではだめ、僕にはどちらも必要だ。小学校3年生のときに地元の公立小学校を不登校になり、学校だけでは学べないのだと気づいた。逆に、転校先の小学校で一生たいせつな友達とたくさん出会ったとき、街だけでは学べないのだと彼女らが教えてくれた。中学高校に上がってからは、学校でそこそこの成績を取りながらも、学校の外によく飛び出していろんなことを学んだ。 「料理する時間なんて、あるの?」と、先日新しいルームメイトが、僕の机の前の棚に並べ

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        マガジン

        • 同世代の素敵なnote集
          8本
        • パリ編
          1本
        • ニューヨーク編
          14本
        • 食べ物と想い出
          4本
        • 教育について考えること
          4本

        記事

          雨が降っても大丈夫な折りたたみ傘を、お餞別に。

          朝起きると、友達から連絡あり。「留学に行く友達にお餞別を贈りたいけれど、何が良いと思う?」と。 今年の1月、留学のために日本を離れて8ヶ月。お餞別に友達からもらって嬉しかったものを挙げればきりがない。 中高6年間同じ部活の後輩からもらった、パイロットのボールペン。いつもお守り代わりにかばんに忍ばせている。大学の期末試験の問題用紙など、重要な場面ではいつも、彼にもらったボールペンを使うようにしている。 高校1年生の最初の日に、教室で机が隣同士だったことをきっかけに仲良くな

          雨が降っても大丈夫な折りたたみ傘を、お餞別に。

          肩書きの交差点から

          小学校の国語の教科書にも載っている物語『スイミー』など、世界的名作を多く生み出したレオ・レオーニ。「絵本作家」として大きな名を残したにもかかわらず、それ以外にも「哲学者」「教育者」「言語学者」などの、18個の肩書きを生涯で名乗ったという。 僕がこのことを知ったのは去年の夏、東京都現代美術館の美術図書室で、『だれも知らないレオ・レオーニ』という本を読んだときだった。3月に高校卒業してから、翌年海外の大学に進学するまでの1年間、小中学校の図書館をデザインするお仕事を担当させてい

          肩書きの交差点から

          数が20までしか数えられないなら、21からは一緒に数えよう

          6月末にトロントに旅行に行ったときに、そこで留学をしている久野ちゃんという、高校の同級生にあった。一緒にご飯を食べて、大学のあるエリアを案内してくれた。 僕と久野ちゃんは同じ中高一貫校に通っていて、最初に出会ったのは今から5年前の中学3年生の秋だった。当時、学校の教室を3つ貸し切ってつくる文化祭の展示の、出入り口の装飾を任された僕は、廊下の壁面に巨大なトリックアートを描いて、お客さんの目を惹こうと考えた。 当然僕ひとりでは手が足りないので、僕の友達数人と、当時友達の友達だ

          数が20までしか数えられないなら、21からは一緒に数えよう

          今日を愛し、今日を生きる8人の若者たち

          大学2年生になった高校の同期と電話していたとき、「彼女がいるのを周りに言いづらい」という話を僕に教えてくれた。彼と、彼の彼女には共通の友達グループがあって、付き合っていることを友達に伝えると、気を遣わせてしまったり、なにかこう気まずくなってしまうのを懸念しているようだった。 海外の大学にいる僕はおととい、同じ寮で僕の近くの部屋に住む学生8人から、一緒にディナーを食べて映画を観にいかないかと誘われて、喜んでOKした。みんなでドレスアップして行ったのだが、彼らと夜の8時に寮の前

          今日を愛し、今日を生きる8人の若者たち

          もう一切れのアーティチョーク・ピザ

          口に入れた瞬間、「ああ、今ニューヨークにいるんだな。」と気づかせてくれる、最高に美味いニューヨークのピザ屋がある。 トロントから1時間40分のフライトでニューヨークの寮に戻り、そのまま寮から7分歩いて、アーティチョーク・ピザのドアを開ける。目の前にピザがずらっと並び、隣のカウンターにお客さんが列をなしてどんどん注文していく。僕もその場に並んで、ピザを2切れ頼んだ。 つい数日前、友人の招待でテクノロジーの展示会に参加しに、トロントにいたときのこと。「菊田さん、アーティチョー

          もう一切れのアーティチョーク・ピザ

          言葉が太陽のように

          5月のマルセイユの空に、太陽が輝いている。その光をサーキットが力強く跳ね返し、上をレーシングカーが高速で走る。ピットでは、メカニック(整備士)がモニターでタイムを確認する。僕は通訳士としてその背中を眺め、ドライバーの帰りを待つ。1周2分17秒。コーナーを回り、ドライバーがピット前のストレートに帰ってきた。身体が震えるほどの大きな音とともに、クルマは僕の前を駆け抜ける。 20周のテスト走行を終え、ドライバーがピットに戻ってくる。ドアを開け、メカニックがドライバーに話しかけるそ

          言葉が太陽のように

          はじめてのルームメイト卒業式

          4ヵ月間同じ部屋で過ごした、僕のはじめてのルームメイト2人が部屋を出た。春学期の期末試験が終わり、彼らはこれから夏休み。僕は夏にも授業があるので、ニューヨークに残る。 僕ら男子3人の関係は、結局最後までよくわからなかった。オーストリア出身、ビジネスを勉強し将来は金融マンを夢見るガタイの良いTくん。アメリカ・ペンシルバニア州からきた、芸術学部で映像制作を学ぶ、髪の毛くるくるのMくん。彼ら2人は、2021年9月の秋学期に入学し、先に2人で部屋に住んでいた。そこに2022年1月の

          はじめてのルームメイト卒業式

          相手と建物の入り口で入れ違い 回転扉のガラス越しに目があったその一瞬 手を振って相手のことをちょっとだけ想う 海外ならではの胸キュン体験。

          相手と建物の入り口で入れ違い 回転扉のガラス越しに目があったその一瞬 手を振って相手のことをちょっとだけ想う 海外ならではの胸キュン体験。

          泣きながら書いたエッセイ

          まさか、大学のエッセイを泣きながら書くことが起こると思わなかった。書くのに集中したいのに、どうしても涙が止まらないのだ。 『あなたに会いたい』という韓国のドキュメンタリーがある。がんで亡くなった7歳の女の子ナヨンちゃんとその家族が、ヴァーチャル空間で再会する様子を描いている。ナヨンちゃんは原因不明の病と診断されてからわずか1週間でこの世を去った。あまりの短さに現実を受け入れられず、ナヨンちゃんとの再会を願う家族。その想いをうけて、韓国の映像プロダクションチームが、ナヨンちゃ

          泣きながら書いたエッセイ

          食べ物は想い出とともに

          ニューヨークに来て3ヵ月、日本の食べ物が恋しくなるときがたまにある。でも実は、ほんとうに恋しいのは食べ物ではなく、食べ物とともにある想い出だったりするのだ。 自粛期間中に家でよく作った、アンチョビのクリームペンネ。在宅リモートワークで、朝から晩までZoomでミーティングをしていたので、12:00から13:00の1時間のお昼休憩で作り、家族と食べた。時間がないので材料は前日までに揃えておく。フライパンだけで作るので洗い物も少ないし、ソースがパスタによく絡んで美味しかった。僕が

          食べ物は想い出とともに

          人生初の、教授のオフィスアワー。部屋に入るとチョコレートはいかがと声をかけてくだる。干し葡萄入りでほんのり甘い。「時間が経てば、いろんな人種の友達はきっとできるわ」と、長く人種を研究する教授の言葉も同じ味がした。帰り際にも勧められたが、他の学生ために食べずに残しておくことにした。

          人生初の、教授のオフィスアワー。部屋に入るとチョコレートはいかがと声をかけてくだる。干し葡萄入りでほんのり甘い。「時間が経てば、いろんな人種の友達はきっとできるわ」と、長く人種を研究する教授の言葉も同じ味がした。帰り際にも勧められたが、他の学生ために食べずに残しておくことにした。

          カップ焼きそば熱湯5分は万国共通かと思ったら、まさかの常温水入れてレンチンだった。高級感があって美味しい。学食が閉まっても深夜まで勉強する学生が、腹を満たしに集まる、夜の大学のコンビニにて。お湯を入れれば、時空を超えて同じ味が楽しめるカップ麺は、幸せな発明。

          カップ焼きそば熱湯5分は万国共通かと思ったら、まさかの常温水入れてレンチンだった。高級感があって美味しい。学食が閉まっても深夜まで勉強する学生が、腹を満たしに集まる、夜の大学のコンビニにて。お湯を入れれば、時空を超えて同じ味が楽しめるカップ麺は、幸せな発明。