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もう一切れのアーティチョーク・ピザ

口に入れた瞬間、「ああ、今ニューヨークにいるんだな。」と気づかせてくれる、最高に美味いニューヨークのピザ屋がある。

トロントから1時間40分のフライトでニューヨークの寮に戻り、そのまま寮から7分歩いて、アーティチョーク・ピザのドアを開ける。目の前にピザがずらっと並び、隣のカウンターにお客さんが列をなしてどんどん注文していく。僕もその場に並んで、ピザを2切れ頼んだ。

つい数日前、友人の招待でテクノロジーの展示会に参加しに、トロントにいたときのこと。「菊田さん、アーティチョーク・ピザって知ってますか?めっちゃ美味いっすよ。」と友人が教えてくれたのがきっかけだった。

「他のピザとは、なんかちょっと違うんですよね」と友人が言ったのが気になっていた。僕にとってピザといえば、日本に住んでいたとき家族とたまにデリバリーして食べるご馳走だった。どのサイズのピザを何枚頼むのか、毎回議論になるのが懐かしい。一人っ子の僕が留学に行った今、家族はどんな食事をしているのか、ピザは変わらずデリバリーしているのかを想像しながら、ピザ屋に向かって歩く。

留学に行く前に、先輩に恵比寿のピザ屋さんに連れてってくださったのも思い出した。5年ぶりにお会いしたのに、「私、カルパッチョめっちゃ好きだから頼んでいい?」と、フランクに話してくださる健気なひとなのを覚えている。大学を卒業して就職先が決まったという先輩がきらきらして見えたし、これから日本を出て海外で過ごす自分の将来への不安も同時に抱いていた。

ちょっと前まで通訳の仕事でヨーロッパを周っていたときは、イタリアで何回かピザを食べた。一日中お客さんに帯同するので、食事をしているときも仕事の時間だから気が抜けない。とくに、ミラノからマルセイユへのフライトが直前に迫っているなか食べたピザは、飛行機に乗り遅れるんじゃないかとハラハラしながら食べたから、味はあまり覚えていない。そういう状況でも、片手でぱくっと口に頬張れるのもピザのありがたさである。

注文したピザが出来上がり、店員さんが箱に入れて渡してくれる。店の外のハイテーブルで箱を開けると、一切れB5ノートぐらいのサイズがあるピザに驚いて、思わずナイフとフォークを手にとりに店内に駆け込んだ。それらをつかって、先のほうからピザ切って口に運ぶ。めっちゃ美味しい。本当は、生地の弧の部分を片手で持って口に入れたいところだが、大きすぎて無理なのがとても幸せである。そういえば、ナイフとフォークで丁寧に切りながら食べるのは、恵比寿のピザ屋につれてってくださった先輩の食べ方だった。

5月頭に1年生の最初のセメスターが終わり、直後に20日間のヨーロッパ通訳出張が決まった。5月末にヨーロッパに向かい、6月半ばにニューヨークに一度戻って、さらに6月末に1週間トロントに滞在する怒涛のスケジュール。1人で食べるには多すぎる量のピザを店の外で食べながら、久しぶりに帰ってきたニューヨークの街を眺める。

5月とは全く変わって外も暑くなってきた。日本はもっと蒸し暑いにちがいない。日本にいる同級生はそろそろ、大学2年生の前半が終わる頃だろうか。インスタをひらくといつも、友達が楽しそうでいきいきとした大学生活を送っているのが伝わってくる。「いいね」を押しながらも、自分が人生の大切ななにかを得ずに大人になっているのかもしれないと思う。トロント滞在中に、「君は卒業したら日本に戻るのかい?」と聞かれ、即座にNOと答えたのも思い出した。本音かどうかはわからないけれど、自分の強がりなところが久しぶりに顔を出した瞬間だった。

ピザを一切れ食べ終えたとき、店のまえを通り過ぎた若い男の子が、僕のTシャツを指差して「それってまさか、Appleの本社で買ったTシャツ?!めっちゃ最高じゃん、君!」と言って、僕と強くグータッチをして去っていった。そんな出会いもあるニューヨークが僕は大好きだ。日本で過ごす大学生活で得られるはずだった大切ななにかを、きっと僕は得られずに大人になる。それでも、大きな何かを失うということは、他の大きな何かをきっと得ることなのかもしれない。そんなわずかな希望を抱きながら、もう一切れのアーティチョーク・ピザを口に運んだ。

ニューヨークにお越しの際は、ぜひアーティチョーク・ピザへ。

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