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肩書きの交差点から

小学校の国語の教科書にも載っている物語『スイミー』など、世界的名作を多く生み出したレオ・レオーニ。「絵本作家」として大きな名を残したにもかかわらず、それ以外にも「哲学者」「教育者」「言語学者」などの、18個の肩書きを生涯で名乗ったという。

僕がこのことを知ったのは去年の夏、東京都現代美術館の美術図書室で、『だれも知らないレオ・レオーニ』という本を読んだときだった。3月に高校卒業してから、翌年海外の大学に進学するまでの1年間、小中学校の図書館をデザインするお仕事を担当させていただいた。「デザイナー」という肩書きを名乗るはじめての仕事。デザインや建築を専門的に学んだことがなかったので、ひとまず世界中の学校建築の事例を勉強しようと思い、電車で1時間、清澄白河まで足を運んだ。


このご時世に、平日の昼間だったことも相まって、図書室には僕ひとりしかいなかった。手持ちぶさたの学芸員さんに声をかけ、本を一緒に選んでもらいながら、僕も棚から面白そうな本を探す。そのとき、ある一冊の本のタイトルに目が惹かれた。『だれも知らないレオ・レオーニ』だ。棚から本を引っ張り出すと、表紙に彼の顔と一緒に、彼が名乗った18個の肩書きが描かれていた。表紙を眺め、今自分が置かれている状況に思いを巡らす。「デザイナー」という新しい肩書きに挑戦しながらも、自分の将来に対する漠然とした不安を感じていた。

肩書きのように、自分を言葉で定義するのはすごく苦しい。連想で、海外大学を受験するときのエッセイを書いた苦労が頭に蘇ってきた。自分が挑戦してみたいことはたくさんあるけれど、ある程度方向性を絞って、限られた字数のなかで論理的に表現しなければならない。書けば書くほど、自分の本当の思いとはかけ離れていくのに絶望した。エッセイの字数で自分を表現するのに苦労したならば、肩書きで表現するのはもっと難しいのではないか。「学生」というからっぽの肩書きと過ごした18年。これから先、自分は肩書きとうまくやっていけるのだろうか。

本と出会って2年後の夏、僕は通訳士という、さらに新しい肩書きと出会った。「学生」「デザイナー」「通訳士」の3つの肩書きを経験してもなお、肩書きとはうまくやっていけるか不安である。

ヨーロッパでの20日間の通訳を終え、大学生に戻るためニューヨーク行きの飛行機に乗る。そういえば、レオ・レオーニも昔アメリカに亡命し、ニューヨーク・タイムズでグラフィックデザイナーとして働いたと、本に書いてあったのを思い出した。彼ももしかしたら、イタリアからアメリカに移動したときは、僕と同じ不安を心のどこかで抱いていたのだろうか。彼が『あおくんときいろちゃん』で絵本作家としてデビューしたのはその後だった。そう思うと、僕ももっといろんな肩書きを名乗りつづけながら、自分を探していけば良いのかもしれない。自分自身が何者なのか、その答えは一生かけて探し続けるだろうし、見つからないこともある。ただ、そのときどきで、自分に合うと思った肩書きを、名乗る。それでいいのだと、レオ・レオーニが気づかせてくれた。

ニューヨークに到着して、「通訳士」から「大学生」の肩書きに切り替える。2つの肩書きの交差点に立つと、レオ・レオーニが僕の背中をそっと押してくれるような気がした。


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