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数が20までしか数えられないなら、21からは一緒に数えよう

6月末にトロントに旅行に行ったときに、そこで留学をしている久野ちゃんという、高校の同級生にあった。一緒にご飯を食べて、大学のあるエリアを案内してくれた。

僕と久野ちゃんは同じ中高一貫校に通っていて、最初に出会ったのは今から5年前の中学3年生の秋だった。当時、学校の教室を3つ貸し切ってつくる文化祭の展示の、出入り口の装飾を任された僕は、廊下の壁面に巨大なトリックアートを描いて、お客さんの目を惹こうと考えた。

トリックアートのデザイン案。ロッカーの壁面が破れて中の教室が見える仕掛けをつくろうと考えた。

当然僕ひとりでは手が足りないので、僕の友達数人と、当時友達の友達だった久野ちゃんに仲間に入ってもらうことにした。共通の友達が、久野ちゃんを僕に紹介するときに、「久野ちゃんは数が1から20までしか数えられないの。」と冗談で言ってくれたのが強く印象に残っている。久野ちゃんとその共通の友達は同じ野球部で、部活で試合の準備をするためにグラウンドにパイプ椅子を並べていたときに、久野ちゃんが椅子の数を20個以上あると数え間違えるのを友達が見たそうだ。

確かに久野ちゃんはちょっとドジなところがあるが、そういう思考が緩やかで優しいところに僕は何度も救われた。毎年文化祭でクレイジーな企画案を連発してしまう僕は、毎年必ず完成が危うくなり、直前になって仲間に深夜まで手伝ってもらわなければいけない事態になる。この年も、デザイン案は決まったものの、教室の壁面を覆う巨大なキャンバスをどうやって用意するのかとか、そこにどの画材でどうやって絵を描くのかとか、その道具が果たして予算内に収まるのかとかが全く見通しが立たず、結局予算を大幅にオーバーし、学年中からバッシングを受けた苦い記憶がある。僕が学校の廊下を歩くたびに、「あ、キクタだ」と顔も知らない生徒から指をさされ、あいつは学年の予算を横領しただの使いすぎただの言われ、とても苦しい想いをしながら絵を描いた。そんななか、久野ちゃんはじめ僕の友人たちは、最後まで僕を信じて一緒に絵を描き続けてくれたのは、本当に嬉しかったし、いまでも心から感謝している。

ベニヤ板を張り合わせて絵を描くことに。先程のデザイン案をもとに鉛筆で下絵を描いて、上からはけと調合したペンキを使って色を塗っていく。
完成。実際はロッカーだけがある部分なので、ロッカーが破れて教室の中が見えるデザインはスリルがあり、通行するお客さんの目を惹いた。
2つ目の作品。こちらはダンボールに絵を描いて張り合わせた。学校のあるエリアの街並みを再現。絵は平面だが、横からみると建物が飛び出て見えるので面白い。
3つ目の作品。窓からシャチが飛び出ていたり、窓の奥から海が実際にあるように見える。

僕は「出入り口の装飾を考えてくれ」とだけ依頼されていたにも関わらず、依頼の範囲内でどこまで面白いことをやるかを考え、トリックアートを描く奇策に出た。そんなことできるのか、(いやできるわけがない)とほとんどの人が思っていたなか、久野ちゃんとほかの友人は「それ、面白いね」といって僕を手伝ってくれた。

特に久野ちゃんは初対面だったにも関わらず、きっとこの企画のなにかを気に入ってくれて、最後まで一生懸命絵を描くのを手伝ってくれた。久野ちゃんに何かを提案したり、お願いしたりするといつも快諾してくれるが、そこには多分理屈はない。それでも、久野ちゃんからはいつも大きな愛を感じる。そんな無条件の愛に甘えて、いつもつい久野ちゃんに無理なお願いをしたりするのである。

結局久野ちゃんとは、高校3年生の1年間だけ同じクラスだった。さらに、この1年間は新型コロナの感染拡大にぶつかってしまい、分散登校になった時期もあった。久野ちゃんは、僕よりも背が高くてかっこよくて優しくて、僕とちがって球技ができてボールも遠くまで速く投げられるから、僕とは全然違う人間だけど、学校に来たときに久野ちゃんに会えるのが、僕はいつもすこし楽しみだった。

久野ちゃんは数学がよくできたし、数が20までしか数えられないのはもちろん友達の冗談だと思う。もし本当だったとしても、きっと久野ちゃんなら21から先の数字を一緒に数えてくれる友達がたくさんいるのだろうと想像する。そんな久野ちゃんも今年20歳になるけれど、21歳から先の人生も、周りの多くのひとがきっと、久野ちゃんの緩やかで優しい思考を愛し、久野ちゃんも多くのひとを愛しながら、元気に過ごしてくれるだろう。

というわけで久野ちゃん、誕生日いつかよくわかってないけど、20歳のお誕生日おめでとう。

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