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今日を愛し、今日を生きる8人の若者たち

大学2年生になった高校の同期と電話していたとき、「彼女がいるのを周りに言いづらい」という話を僕に教えてくれた。彼と、彼の彼女には共通の友達グループがあって、付き合っていることを友達に伝えると、気を遣わせてしまったり、なにかこう気まずくなってしまうのを懸念しているようだった。

海外の大学にいる僕はおととい、同じ寮で僕の近くの部屋に住む学生8人から、一緒にディナーを食べて映画を観にいかないかと誘われて、喜んでOKした。みんなでドレスアップして行ったのだが、彼らと夜の8時に寮の前で合流してレストランに向かって歩き出したとき、うち男子3人がそれぞれ女子の手をとって道を歩くのに目を奪われた。8人のなかにカップルが3組いて、8人全員が付き合っていることを認識している。高校の同期から聞いた話と全然違う世界が目の前に広がっていた。

彼らは皆僕と同い年のはずなのに、僕よりもよっぽど大人びて輝いて見えた。ドレスアップした3組の男女が、お互いに惹かれあって、僕の目の前でニューヨークの夜の街を一緒に歩いている。時折見つめあって、肩を寄せあって、ハグをしてキスをする。心がつながっている、真っ直ぐで純粋な、人間らしい愛が存在しているように見えた。

恋愛だけじゃない。彼らとお互いに自己紹介したときに、彼らがいかに「今を生きる」ことを大切にしているかに気付かされた。現在何の学部で、どのようなことを勉強しているのかを聞いたあとに、将来どうしていきたいと思っているのかを聞くと、彼らは口を揃えて「わからない」と答える。1年後のことでさえもそうである。「まあ、来年あたりどっか留学行けたらいいなーと思ってるんだよねー」とか、「Major(専攻)はまあ、それなりに考えてはいるけど、まだわかんないなぁ」と言う。それよりも、今自分がこういうことを学んでいて、こういうものが好きで、こういう考えを持っているということをはっきり伝えてくれる。会話する中で、彼らの視点は常に「今現在」に向いていて、今の自分が一番良いと思う選択をすることが大事だと考えているのだ。恋愛においては、今自分が一緒に居たいと思う人が隣に居てくれていることを、幸せに感じているように見えた。

わたしたちは、ありたい未来から逆算して現在の時間を消費するときがある。達成したい目標に対して計画的に行動することが正しいと教わり、未来のために現在の行動を計画する。このとき、今という時間は未来に向けての準備であり続ける。

例えば、大学を卒業したらそのまま企業に就職できるように、3年生からインターンや就活を始めて、2年生までのうちに遊び尽くしておこう、と考えたり。あるいはその手前の高校生の段階で、就職率の高い大学に行こうと考えたりする。このとき、高校生のときの「いま」という時間も、大学2年・3年のときの「いま」という時間も、常に大学を卒業して就職するときの「未来」の準備のために消費している。加えて、他者から自分を評価されるときも、いかに未来に向けて準備できたか、すなわちいかに過去の自分が現在(=過去から見た未来)へとつながっているかを問われる。履歴書を書いたり、面接で話したりするのもそういう内容かもしれない。

しかし彼ら8人は、全く異なる見方をしている。今を生きることが一番重要であり、未来がどのようになるかは、今を楽しんだ積み重ねの先に「自然と見えてくるもの」だと考えている。未来への期待を持ちながらも、それにとらわれることなく、軸足が現在に置かれているのだ。彼らは未来との付き合い方がとても上手い。

8人中6人がカップルで道を歩いていると、残された2人と僕は少し気まずい感じにもなる。彼女ら2人はなにも気にしていないようだが、僕はちょっと居心地が悪かった。彼ら8人はいつも同じ部屋で暮らしているが、僕はそうではないし、彼ら8人とはほぼ初対面だし、おまけに海外で同年代の友達とおめかししてお出かけするのもはじめてだったからだ。

そんな僕をみて、自然に話しかけてくれた1人の女の子がいた。もちろん友達同士ではあるが、3組のカップルの背中を見ながら、僕も今この瞬間自分と一緒にいてくれる相手との会話を楽しもうと、意識を切り替えた。優しくて、僕がその場に馴染めるようにたくさん質問をしてくれるが、僕も相手の目をみて、今この瞬間に知りたいと思ったことを聞いてみた。父が芸術家で、公立の高校を辞めてアートの高校に通っていたこと。大学ではアートを専攻せず、幼児教育とアートの両方を考えたいと思っていること。弟が愛おしくて、弟とすぐ会えるように、地元から2時間ほどで行けるニューヨークに来たことなど、たくさん話をしてくれた。

気がつけば、アジア人以外の女の子とこれだけ心を通わせて会話ができたのははじめてかもしれない。大学の中はやはり、同じ性別・同じ人種/国籍/民族どうしで固まりたがる傾向にある。しかし、彼ら8人のあいだには、そのような慣習は全く存在していなかった。

レストランで、それぞれが食べたいものを注文して楽しみ、その後は映画を観て解散した。なんの映画を観るか僕は当日まで知らなかったのだが、全員で公開初日のミニオンシリーズの最新作を、笑い(泣き)ながら観た。みんな置かれている状況は違うだろうけれど、やはりニューヨークで大学生活をおくるのは苦しいこともたくさんあるし、将来への不安もきっとあるに違いない。それでも、未来に柔らかな希望を抱きながら、今日を愛し、今日を生きる8人の彼らから、僕はなにか大切なことを教わった気がした。

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【おまけ】このエピソードをnoteに書こうと思うきっかけになった本をご紹介します。「今を生きる」とはどういうことなのかを、文化人類学者が語った素敵な1冊です。ぜひご覧くださいませ。


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