見出し画像

クロスボール#25

前回(第24話 弱さ)のあらすじ…
ダイチに腕を掴まれて、腹をくくったケイシは、ようやく部活に戻ることにした。プールでは杉山から、ユイの母親が入院していたことを聞かされる。ユイのことを知りたいと思うケイシ。杉山に、ユイが来たら連絡をもらえるようにお願いしたケイシだったが…

第25話 横顔


「もう少し休んでもよかったんだぞ」

 しばらくすると、ハルトが学校に出てきた。たった4日間、会わなかっただけなのに、随分と離れていたような気がしていた。担任教師の言葉に、ハルトは、「大丈夫です」と、気丈に返事をすると席についた。窓の外を見つめているハルトの横顔は、どこか固いままだ。

「久しぶり」

 何事もなかったかのように、ダイチがハルトに声をかけた。こういう時のダイチは、とてもシンプルに動く。ハルトの表情が、少しホッとしたように和らいでいった。

「おい、ケイシも来いよ」

 ダイチに右腕を掴まれ、無理やり席を立たされた。ハルトの前に押し出されると、ケイシは、ハルトの顔を見れないでいた。

「お前が来ないと、部活に張り合いがないんだよな。俺がいないとって、言ってくれなきゃ」

 ダイチが、気まずい雰囲気を察してか、何度もハルトの口調を真似ておどけて見せる。一気に緊張した空気が消えていく様な感じがした。

「全然似てねぇよ」

「そうか、似てると思うんだけどな」

 ダイチのふざけた表情に、ケイシも頬を緩めていった。

「……ありがとう」

「え?」

「来てくれたこと」

 ハルトの言葉に、ケイシはダイチと思わず目を合わせた。ハルトから、そんな言葉が聞けるなんて思ってもみなかった。

「あははっ」

「何が可笑しいんだよ?」

 吹き出したダイチに、ハルトの顔がムッとした表情に変わる。それはいつものハルトで、ケイシも笑いをこらえることが出来ないでいた。

「いや、お前がそんなこと言うとは思ってなかったからさ」

 ハルトは、ばつが悪そうに席を立つと、そのまま教室を出て行ってしまった。ダイチが、ケイシの背中をポンっと軽く叩いた。心配するな、そう言われているような気がした。  

 部活の時間になると、ハルトはいつも通りだ。誰よりも真剣で真っ直ぐで、休んでいたことがなかったかのように、すぐにチームに溶け込んでいった。ハルトに負けまいとするユウマも、いつも以上に気合が入っているように見えた。ケイシは、ボール磨きをしながら、そんな2人を見つめていた。ハルトは、あの時のことは何も聞かない。あまりに自然で、いつもと変わらないハルトの姿に、ケイシの気持ちは複雑に揺れていた。

 部活が終わって部室に戻ると、ちょうどロッカーからスマホの振動音がした。スマホを手に取ると、着信は知らない番号だった。

「もしもし?」

「あ、小僧か」

 電話の声は、杉山だった。

「ユイちゃんがさっき来たぞ。今なら会えるかもしれんが」

 ケイシはすぐに電話を切ると、ダイチ達に何も言わず、慌てて自転車に乗って走り出していた。頭の中では、ユイにかける言葉を探していた。何と声をかければいいのか。確かめたいことは沢山あるはずなのに。プールに向かう坂道が、今日はやけにきつく感じた。自転車をこぐ足にも力が入る。ケイシは自転車を走らせながら、答えを見つけ出すことが出来ないでいた。

 公園を通り過ぎようとした時、グレーの制服が視界に入った。ユイだと確信した時には、先にユイの方がケイシに向かって手を振っていた。

「人生に期待してはいけない。自分の思う通りにはならないことは知っているし、無理をしてもなにも変わらないことも分かっている。あがいてみても、結末は決まっていて、きっと虚しさだけが残る。私は今日も一人。グレーの世界にただ、一人だけだ」

 ユイは、そう言うと下を向いて、笑う。

「これ、私が好きな小説の一文。ずっとそう思っていたんだけど」

 ユイに促され、公園のベンチに座る。ベンチからは、街並みに陽が落ちていくのがよく見えた。誰もいないグラウンドには、外灯が2回ほど点いては消えて、ようやく灯った。

「この間は、ありがとう」

 隣に座ったユイに、ケイシは首を横に振った。

「驚いたでしょう」

 穏やかな表情をして話すユイは、少し痩せたように見えた。

「私ね、母とは血がつながっていないの。本当の母親は、私を産んでからしばらくして亡くなった」

「そうだったんだ」

「父も忙しい人でね、私が小学校に上がった頃、身の回りの世話をしてくれるお手伝いさんとして”桜さん”が一緒に住むことになって……」

 "桜さん"と呼んだ声色からも、ユイの母に対する愛しさが伝わってくるようだった。

「しばらくして私が”桜さん”に慣れた頃に、父が再婚したの。今思うと、お手伝いさんと紹介したのは父の優しい嘘だったのかもしれない」

 一言、一言、ゆっくりと言葉を吐き出していく。ユイの言葉は、今にも消えそうだった。瞳には、うっすらと涙が浮かんでいるようにも見えた。

「”桜さん”からは、沢山愛情を注いでもらった。血が繋がっていなくても、私にとって母親と呼べる人は、”桜さん”しかいなくて。父が母のために引っ越すって聞いた時にも、すぐについていくことにしたの」

 グラウンドには休憩を終えたのか、一人で練習を始めるハルトの姿が見えた。ユイは、ハルトを見つけると、スッとベンチから立ち上がった。

「三島ハルトのことを知ったのは、母が転院してすぐの頃。病室で、一枚の写真を見つけて。とても大切にしまってあったそれに写っていたのは、赤ん坊だった。それは私ではなく、三島ハルトだった。私、嫉妬した。"桜さん"の子どもは、彼だけだと言われてる気がして。だから、会いに行ったの。噂通り、わがままで生意気で。だけど、優しい瞳をしてた。”桜さん”と同じ優しい瞳を」

 ハルトは、ボールに囲まれて、何度もゴールを狙っている。

「帰って”桜さん”に聞いたの。三島ハルトに会いたいかって。そしたら、ゆっくり頷いた」

 その時のユイは、今の自分と同じように孤独だったのかもしれない。ハルトを認めるより、憎む方ががきっと楽だったはずだ。

「彼に会って、悔しいけど私の考えも少しずつ変わっていった気がする。最初は、何もかも上手くいかなくて、辛くて悲しくて。すべて三島ハルトのせいにしてしまえばって思っていたこともあるの。でも、ある日、彼は言ったわ。”その世界から抜け出せるのは自分しかいない”と」

 きっと、あの時だ。ハルトに手を引かれていたあの日、ユイはハルトの言葉に救われたのかもしれない。

「グレーの世界が、自分次第で変わるのかもしれない。そう思うようになった」

 ユイの瞳に映るハルトは、きっと輝いている。ケイシが知らない2人だけの物語が、そこにあるような気がした。そこにはもう、ケイシも誰も立ち入ることが出来ないもののように思えていた。

「ねぇ」

 ケイシの呼びかけに、ユイは振り返る。

「君は、ハルトのこと好きなの?」

 多分、一番聞きたかったことだ。ケイシは、声に出して初めて自分の気持ちが軽くなったような気がした。ユイは、真っ直ぐとグラウンドのハルトを見つめた。しばらく考え込んだユイは、ケイシの瞳を見つめて言った。

「そうかもしれない」

 その言葉は、とても正直に聞こえた。

「彼が私に与えてくれたものは、多分、大きい。母が亡くなった今、特にそう思うの」

 ユイにとって、ハルトは、突然現れたヒーローみたいなものだ。ハルトを見つめるユイの横顔は、いつも以上に綺麗に見えた。確かめたかったことの全てを知ってしまったケイシの心は、静かに崩れていくしかなかった。

 ハルトには、敵わない。ケイシは、呆れたように笑うしかなかった。

「何が可笑しいの?」

「いや、僕は、ハルトには敵わない。認めるよ」

 ユイは、言葉の意味を理解していないようだった。吐き出した言葉が、虚しくケイシの周りを囲んでいった。不思議そうに見つめてくるユイに、ケイシはもう何も言えないでいた。

第26話 グレー


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?