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クロスボール#24

前回(第23話 線香)のあらすじ…
ハルトの母親の通夜に、家族と参列したケイシ。そこには、親族席でハルトの隣に座るユイの姿があった。驚いたケイシは、ハルトにもユイにも声をかけられず、通夜の会場を後にし…

第24話 弱さ

「今日は、部活来るよな」

 昨日は、寝付けなかった。通夜の独特な雰囲気が体を疲れされたこともあるが、何よりハルトとユイのことで頭がいっぱいだった。

「なぁ、聞いてるのか」

 ダイチの問いかけにもろくに反応せずにいた。放課後になると、帰る準備をしているケイシの腕をダイチが掴んで放さなかった。

「部活、もう休めないからな」

 腹をくくるしかなかった。ダイチに連れられたまま、ケイシは部室に向かう。ドアを開けると、そこには先にユウマがいた。ケイシが入ってくるのが分かると、ユウマは優しく笑った。

「お帰り」

「今日から練習するってよ」

 ダイチが逃げ出さないように釘をさしてきた。

「まぁ、あんまり無理するなよ」

 浮かない表情のままのケイシを気遣ってか、ユウマは無理強いすることはなかった。

 グラウンドでは、後輩までもがケイシの体調を心配して、次々に声をかけくる。一人一人に、つまらない言い訳を並べる度、ケイシの心はチクリと痛んでいった。

 坂田が歩いて来るのが見えると、ユウマが手招きをした。

「おい、ケイシ。ここは何も言うなよ」

 体調が良くなかったと口裏合わせをしようとするユウマを制止し、ケイシは、正直に頭を下げることにした。「せっかく上手いこと言っておいたのに」と、ユウマは呆れていたが、ケイシはそうしたかった。

 坂田は、仮病を使った理由を問いただすこともなく、ペナルティとして、「1週間、1年生と一緒に練習だ」と、言った。

 ケイシのスタートはまた、1年前と同じ場所になった。グラウンドの端で筋トレをする。中央では、声を張り上げるダイチが見えた。ダイチは、もうチームの中心にいる。隣にいたダイチの背中を追うことになるとは、思ってもいなかった。

 部活が終わると、自然と足はプールに向かっていた。ブルーの世界で、浮いていなければ、自分が消えてしまいそうだった。受付でケイシの姿を見つけた杉山は、「死んだかと思ったぞ」と、皮肉交じりに笑っていた。

 ロッカーに荷物を入れ、水着に着替えると、ケイシは大きく背伸びする。久しぶりの筋トレで、体のあちこちが痛む。ロッカーの鍵は、相変わらず錆たままだ。

 プールサイドに立つと、今日も、客は誰もおらず、貸し切り状態だった。倉庫から、貸し出し用の大きな浮き輪を取り出す。

「じいさん、これ借りるから」

 管理室に向かって声を張り上げると、杉山が大きく腕で丸を作って合図した。

 水面に浮き輪を投げ込むと、幼い子どものように浮き輪を背にし、水面にぷかぷかと浮かぶ。こうしていると、何もかも忘れることが出来るような気がしていた。

 杉山が、管理室から出てくるのが見えると、ケイシは目を瞑り、大きく見開いて天井を見つめた。いつもと変わらない天井だけは、ケイシの味方のように思えていた。

「なぁ、じいさん」

「なんだ」

 杉山は、プールサイドをくるくると歩き回っては、立ち止まる。何やら点検をしているようだった。

「俺さ、友達がつらい時ににひどいことを言ったんだ」

「そうか」

「どうして俺は、気づいてやれなかったんだろう。最低なヤツだ」

 杉山は、点検の手を止めると、ゆっくりと水面に近づいてくる。杉山は、ケイシの顔を覗き込んだ。

「小僧、助けるってことは、声をかけたり相談にのってやることだけじゃねぇぞ」

「え?」

「一緒に笑ったり過ごしたり、それだって相手の助けになることがあるんだ。自分にとってはちっぽけなことでも相手にとっては大きなことだってあるもんだ」

「そうかな」

「あぁ、そうさ」

 確かに、ケイシもこうやっていつも杉山に助けられている。ここに来ると、いつもと変わらない時間が過ぎていく。そんな風に自分は、少しでもハルトの力になれていたのだろうか。

 ケイシは、浮き輪から体を起こすと、頭から勢いよく水の中に深く潜っていった。息を止めたまま、ゆっくりと沈んでいく。耳の奥から心地よい水の音がケイシを癒していくようだった。眼を瞑って、心臓の音に耳を傾ける。ゆっくりと鳴る心拍音は、ケイシを少しずつ落ち着かせていった。

 息が続かず、水面に顔を出すと、杉山はまだ点検用紙とにらめっこしていた。

「それ、何?」

「あぁ、これか。定期点検だよ」

 杉山は時計に目をやると、ケイシに「時間だ」と、言った。ケイシはプールから出ると、大きな浮き輪をプールサイドに引き上げる。壁に寄りかかるように置くと、浮き輪から水滴がポツリポツリと零れていった。

「まったく。ここもボロくなったもんだな」

 杉山が、眉間にしわを寄せる。その表情は、険しくもあり、どこか懐かしんでいるようにも思えた。

「この間、改修工事したばかりじゃないか」

「そうだけどな、色んなところにガタがきているんだよ。年取ると、少しの傷でも治りが悪くなるもんだ」

「ふーん」

 いつものように、ケイシは片づけを始める。杉山も、ようやく点検が終わったのか、用紙を管理室に戻すと、ケイシの隣で手伝いはじめた。

「昨日さ、お通夜に行ったんだ」

「あ?」

 ケイシは、ビート板を片付ける手を止めた。今なら、杉山に吐き出せそうな気がしていた。

「三島ハルトの母親が、亡くなったんだ」

 杉山も、ビート板を掴む手を止めた。

「そうか」

「そこに、永見ユイがいたんだ」

 杉山は、何かを知っているような顔つきをして、また手を動かし始めた。

「何か知っているの?驚いたよ……。なんであそこにユイがいたのか」

「あ、いや。ユイちゃん、ここに転校してきたのは、大切な人の傍にいたいからって話したことがあってな。無理して学校行かなくったって、他探せばいいじゃないかってアドバイスしたことがあったんだが……。そしたら、いじめられるのは慣れてるから、ここからは逃げ出したくないんだって言ったんだ」

「そうなんだ」

「ユイちゃんの学校、お母さんの入院していた病院の窓からよく見えるんだって、そう言っていた」

 ユイの母親が入院していたことも、ケイシは知らない。ユイとハルトの母親が同じだったという事実を、ケイシはまだ信じられないでいた。

「なぁ、じいさん」

「なんだ」

「永見ユイがここに来たらさ、僕に教えてくれないか」

 杉山が、驚いた表情をして、手を止めた。

「小僧も、少し大人になったか」

「うるせぇ」

 その後、杉山は、「分かったよ」と、笑った。

 ユイと話がしたかった。母親のことも、ハルトのことも、ユイが抱えていることすべてを知りたいと思っていた。

「ほらよ」

 杉山は、いつものようにオレンジジュースを手渡した。ケイシは、それを受け取ると、鞄に入れた。

「あんまり、無理するなよ」

 杉山が、気遣う言葉は発するなんて珍しいことだった。いつもの杉山なら、そんなことは絶対に言わない。よほどケイシが弱っているように見えたのかもしれない。その優しさは、なんだかとても嬉しいものだった。

「ありがとう」

 素直にお礼を言うと、杉山は目を大きくして、柔らかな表情になった。手を振って、ケイシを見送ると、杉山はまた、プールに戻っていった。

 外に出て自転車の鍵を外す。空を見上げると、星が綺麗に輝いているのが見えた。いつもと変わらない空なのに、なんだか今日は、特別なような気がしていた。

 自分は一体、何が出来るだろうか。ユイにもハルトにも、力になれることはあるのだろうか。杉山の言葉を思い出しながら、ケイシは、大きく深呼吸した。一人でいると、臆病でちっぽけで、何もできない自分の無力さに押しつぶされそうになる。弱さを認める強さがほしい。ケイシは、もう一度空を見上げて、そう強く願っていた。

第25話 横顔


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