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クロスボール#23

前回(第22話 暗闇)のあらすじ…
3日も部活をズル休みしたケイシは、しびれを切らしたダイチに、強引に部活に連れ出される。合わせる顔がないと落ち込むケイシだったが、ハルトがいないと分かると、ホッとする。その夜、ケイシは、ハルトの母親が亡くなったことを知らされ…

第23話 線香

 次の日、ケイシは両親に連れられて通夜に参列することになった。通夜は、ハルトの母親が住んでいた隣町で行われる。サッカー部にも連絡が回ったようで、代表してユウマとダイチ、坂田が参列することになった。

 朝から、母は慌ただしく準備に追われていた。リビングにかけられた喪服を見ると、ケイシの気持ちはずんと深く沈んでいった。

 夕方になると、父は急いで診療所を閉めた。玄関からその様子を見つめていたケイシは、父に促され、診療所の入り口に緊急連絡先を掲げる。

「いくぞ」

 ケイシは、父に呼ばれて車に乗り込んだ。会場まで30分程の時間がかかる。車内は、重たい空気が流れていた。沈黙の中、最初に口を開いたのは母だった。

「ハルト君、大丈夫かしら」

「そうだな」

「心配ね」

 父も母も、小さなころからハルトを自分の息子のように見守ってきた。特に母は、自分のことのように心配し、落ち着かない様子だった。

 顔も知らない母親のことを、ハルトはどう思っていたのだろう。ハルトが、家族について話をすることはあまりなかった。ケイシの記憶には、父親と過ごすハルトしかいない。片親で育ったハルトとは違って、ケイシにはいつでも傍に両親がいた。どうして、あの時あんなひどいことを言ったのか。ハルトの母親の容体は、ずっと良くなかったはずだ。突き放すようなことをして、追い詰めてしまった。ケイシは、ハルトのことを思いやれなかった自分の行動を悔やんでいた。

 陽が落ちる頃、車の窓から外を見ると、田園に囲まれた斎場が遠くに見えた。斎場の駐車場には、車が次々と入っていく。薄暗さの中にポツリと灯された斎場の光と、車のライトが折り重なって見えるその光景は、不謹慎にも、どこか幻想的だった。

 係員の誘導に従って駐車場に車を止めると、父と母に連れられ、すぐに受付に向かった。入口のドアが開いたのと同時に、ふっと線香の匂いがした。

 ケイシが5歳の時に、祖父が亡くなった。その当時の記憶は曖昧で、覚えているのは、泣いていた母の顔と、握りしめていた父の大きな手、そして、この線香の匂いだけだった。

「ケイシ、ほら、何してるの」

 入口で立ち止まったケイシを見て、母が急かした。ケイシは、足を前へ進めた。

  斎場は小ぢんまりとしている。時間より少し早めに着いたためか、受付の周りにはまだ人がまばらだった。受付をすませて辺りを見渡すと、まだ、ダイチとユウマは、到着していないようだった。

「南海さん」

 振り返ると、声をかけてきたのは、ハルトの父親だった。

「この度は、誠にご愁傷様です。心からお悔やみ申し上げます」

 両親が、すぐに深く頭を下げる。それにつられるようにして、ケイシも真似をして頭を下げた。

「ハルト君、大丈夫ですか」

 母の問いかけに、ハルトの父親は、目線を一瞬だけ下に落とした。

「えぇ。幼いころに私のせいで別れてしまって。ハルトには本当に申し訳ないことをしたと思っています。母親が会いたいと言っていると伝えてから、すぐにこんな形になってしまって…」

 ハルトは、母親が現れてから明らかに様子がおかしかった。きっと不安だったのだろう。弱さを見せないハルトに、自分はずっと甘えていたのかもしれない。ケイシは、ハルトの強さの奥に隠された傷に、いつしか鈍感になってしまっていた。

 係員が、式場へと誘導を始める。受付には、ようやくダイチたちの姿があった。ダイチに目で合図を送って式場へ入る。すぐに、真正面の遺影に目がいった。初めて見るハルトの母親は、目元がどことなくハルトに似ていた。整った顔立ちをしていて美しい。微かに笑うその顔は、無邪気で、可愛らしい印象を受けた。ハルトは、きっと母親似なのかもしれない。

 椅子に腰かけると、ハルトの父親は、親族席には座らず、ケイシの隣に腰を下ろした。ダイチとユウマがケイシの姿を見つけると、すぐに後ろの席に座った。坂田に気付いた母は、「いつもお世話になっています」と、立ち上がって頭を下げた。

 読経が始まる。式場は静まり返っていた。係員の案内で焼香が始まった。独特な雰囲気に、ケイシの鼓動は速くなっていく。

 その時、喪主の後に焼香に向かった女性の姿に、ケイシは言葉を失った。そこに立つのは、グレーの制服を着たユイがいた。

 ケイシが前のめりになると、母が小声で、「どうしたの?」と、聞いてきた。

「いや……」

 ユイに続いて、ハルトが席を立った。ケイシは、目の前の状況に、頭の理解が追いつかずにいた。そうこうしている間に、係員が焼香の合図を送る。順番が来てしまったことに動揺したまま、ケイシは、母の後を追うようにして席を立った。

 遺族へ一礼をすると、ハルトと目が合った。ハルトは真っ直ぐとケイシを見つめている。その顔は、何とも言えない切ない表情をしていた。捨て猫の瞳で見つめられる視線に、思わず目を逸らすしかなかった。

 焼香を見様見真似で終えると、もう一度、遺族に向かって頭を下げた。ハルトの隣を確認するかのように顔を上げる。隣に座るのは、間違いなくユイだった。ユイは虚ろな目をして遺影を見つめている。青白い顔に泣き腫らした目、放心状態のユイは座っているのがやっとのようだった。

 どうしてユイがここにいるのだろう。ケイシは、戸惑いを隠せないでいた。

 喪主挨拶が終わると、しばらくユイは立ち上がることが出来ないでいた。ハルトに手を引かれ、立ち上がったユイは、参列者にむかってハルトと一緒に深く頭を下げた。

 式が終わり席を立ち上がると、入口は帰ろうとする人でごった返していた。

「ちょっと、ハルト君に会ってくるわ」

 母は、父にそう告げると親族席に向かった。父が、ケイシの顔を覗きこむ。お前はいかなくていいのか、と言われているようで、ケイシもすぐに母の後を追った。

 前を歩く母は、すぐにハルトに駆け寄って声をかけた。ケイシは、その後ろで立ち止まる。足が前へ進まない。ただ、その光景を見つめるしかなかった。

「元気を出して。また、いつでもうちに来てね。美味しいごはん作って待っているから」

 背中をさする母に、ハルトはゆっくりと頷いた。顔を上げたハルトと視線が合いそうになって、ケイシは俯いてしまう。母は、話し終わると、そのまま父に向かって歩き出した。ケイシは、そのままハルトに声をかけることもなく、母の後を追って式場を後にした。なんて言葉をかければいいのか、謝罪も励ましも、どれも違うような気がしていた。ハルトは、きっとまた、捨て猫のような瞳で、自分を見ているだろう。背中は、ハルトの視線が突き刺さったように重く感じた。

 駐車場へ向かう途中、ふと振り返ると、親族に抱えられるようにして控え室に戻るユイが見えた。ユイにかける言葉もない。ケイシは、そのまま黙って車に乗り込むしかなかった。

 帰りの車内は、誰一人口を開こうとはしなかった。ラジオからは、陽気な音楽が流れている。母は、流した涙を何度も拭うようにして、ハンカチを取り出していた。制服には、線香の匂いがしみついている。

 ハルトには、兄弟はいない。ユイとハルトの関係を理解することも出来ず、ケイシの頭の中は、まだ冷静さを取り戻せずにいた。

 父が流れてくる陽気な音楽に嫌気がさしたのか、ラジオをニュースに変えた。ラジオからは、天気予報が流れていた。明日は、晴れだ。ケイシの心も同じように晴れることはあるのだろうか。窓から見える外灯の数を数えながら、ケイシはこの世界がずっと暗闇のままのような気がしていた。

第24話 弱さ


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