「人生に答え(意味)なんかない」はホントなのか?
単純に生まれる『疑問』から単純な『結果』にたどり着くまでを、めちゃめちゃ複雑にしてしまう。
世の中は染脳が完了した状態で現象化していくから。
「自殺はしてはいけない」と言う人もいた。
「自殺は逃げだ」と言う人も山ほどいた。
でも、「なんで?」と聞いた時に納得できる説明をしてくれた人はいない。
人は、自分自身が理解に至っていなかったり、体験していない部分の説明に関しては説得力が伴わない。
そして、相談した相手自身が理解に至っていないたぐいの疑問にこちらが執着してると
「考えても答えが出ない事なんて、考えても仕方ない」
と言われた。
「考えても答えが出ない事なんて、考えても仕方ない?」
本当にそうなんだろうか?
「考えても答えが出ないのは、考えが至っていないから」
ではなくて?
考える事自体を諦める事を薦めるような助言は、その人がどんなに社会的にステイタスや知名度が高かったとしてもどうしても譲れないので無視した。
なげやりな知ったかぶりをする人は、本当の意味で助けにならない未熟な人間かもしれないから。
社会的には頭がいいと認知されていても、見えない世界の因果関係についてはド素人で、自分の方が社会的には無認可でも充分に経験ベースに解釈している場合もある。
特に自分の事は。
自分は自分の達人に決まってる。
産まれた時から自分なんだから。
そして、単純に自分の命と人生がかかった疑問の答えを他人に「考えない方がいい」と言われたからといって、諦めるわけにはいかない。
「他人の助言はいつだって最終的には無責任」
だという事を先にこちらの肝に銘じる。
「他人から得たアドバイスで、行動した結果が望んでいた未来じゃなかった。だから、責任をとれ。」☜これ、地球社会トラップです。
☝これ、答えにたどりついた人間ならわかるけど。人生の謎を解く鍵の一つが『自己責任』だったりする。社会内では保険が効くけど人生を紐解くときには保険をかけているかぎり開かない扉がある。
自分の命はいつだって、自分の命でしかない。
物理的な病気やケガについてなら他人が良心的な対処療法で助けてくれる場合もある。
けど、死にたくなる理由は千差万別で。
人に相談することで、一瞬だけ。
腐りかけた傷口からストレスを抜くことはできるけど。
それは対処療法で。
対処療法は根治療法ではないので。
いつまでもじくじく痛んでる自殺願望が体育座りしてこちらを眺めている状態が続いてく。
社会の閉塞感が強くて息苦しい。
酸欠になって、もがいて、もがいて。
楽になるには?
「もう、生きていたくない!」
になるわけだけど。
頭の片隅で『自殺はしてはいけないもの』という縛りが何故か、「なんとなく」意識にインプットされているから仕方なく死なない(死ねない)状態をキープしていく。
その時。ずっと考えてた。
◆自殺はしてはいけない
本当に自殺はしてはいけないのか?
「自殺はしちゃいけない。」と言われるたびに湧いた疑問。
「死にたい」と言った時に「死んだらダメ」とか、「自殺は罪だ」とか言う人に出会った。
でも、「なんで?」と聞いた時に納得できる理由を説明する人は1人もいなかった。
相談する相手を間違えてる自分が悪いのかもしれないけど。
「悲しいから。」と言われたり、「家族が悲しむよ!」なんて、さとされたら
(私のなにを知ってるの?)
とイライラして余計に死にたくなった。
自殺したい側の自分は生きているだけで毎秒苦しい状態だ。
他人は
『人前では笑えるのに実は苦しい』
そんな毎日を毎秒過ごしている人間の心について
目に見えなければこんなにも鈍感なものなんだ。
自殺されてから「なんであの人が?どうして?」だらけになる。
社会の役に立つ人間になる為に産まれてきた自覚は全くない。
でも、産まれてみれば社会の役に立つようにやんわり強制される仕組みが出来上がっていた。
社会に組み込まれた段階で人間関係の問題が生じて死にたくなった。
「本当に自殺はしてはいけないのか?」
説得力しかない答えが絶対に必要な疑問。
だけど。
死んだことのない人間には誰にも明確に答えられない。
答えられないくせに「自殺してはいけない」と言う。
『社会の常識』に照らし合わせて「しちゃいけない」と効果がないのに言う。
死にたい自分には響かなかった。
もっと根本的に。
目に見える問題と目には見えない課題に
自分で気がついていないから
「自殺しちゃいけない」理由に辿り着けない
のではないだろうか?
◆自殺って逃げなのか?
考えて導き出した仮定と疑惑→『自殺は社会枠の縛りからの逃げではあるが、そのもう一段回外からの縛りからは自殺という手法では逃げられないのではないか?』
★目の前の状況から逃げたくて自殺をしたとしてもそのあとの真実は死んだあとの人間にしかわからない。
★『気がついたら、この地球に生まれちゃってた経験』を考慮する必要がある。
勇気を出して、社会枠(恐怖)の外である死後の世界へ全部終わらせる為に自殺をしても、万が一逃げた事にならず再度・気がついたら全てがまったく同じ条件で『リセット』されずに『リプレイ』で生まれてしまうのであれば、今・自殺をしても全く意味がない可能性が拭えない。
自殺しても全消去も全とっかえもできないとなると…。
☝と、自殺をする前に想像した。とする。
『何回も・何回も・大きな社会という渦を、ぐるぐるまったく同じシチュエーションで生きる人生を幾度となく繰り返しているだけ』と仮定したら。
産まれてからなんらかの境遇に陥り、死にたくなって自殺をし。
また、記憶いっさい消されて産まれて。
記憶がないからもちろん気がつくことも思い出すこともないので。
全て采配どおりに完璧な。
同じシチュエーションが永遠にリプレイされているとしたら?
産まれる前の記憶がないのだから、この人生が1ミリのブレもない、前世の完全再放送だとは気がついていない可能性は十分にある。
産まれた限りは誰だって検証が可能だ。
考えてみればいいだけ…。
母体に宿る直前で『魂が人間的には死んでた時の記憶』はどこぞの誰かの便宜上消えていますよね?
結局のところ。
『自殺はしたらいけない』のではなくて
『自殺はしても意味がない』のではないだろうか?
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