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『摂食障害』part2 発症から高校卒業まで 『劣等感』の極み

以前の記事で摂食障害(拒食症)を発症したきっかけを記載した。
ここではpart2として、その後の経過から高校卒業までを一区切りとして
記載する。

あの、ほんの些細なことがきっかけで、
私は体重を減らす(数字を減らす)ことで達成感を得るようになった。
私は中学に入学するころまで、比較的痩せ型だった。
思春期が原因だったのか、徐々に横に大きくなってき、以前と比較してふくよかに、大人の体型に確実に近づいていく自分の体型に不満を感じていたことも要因の一種だったように思う。
ある種の「命をかけたゲーム」のような感覚だったのかもしれない。
そして、食欲をコントロールし我慢することで、
自分は努力している、という感覚を得ていたとも考えられる。
「食べなけれは体重は減る、その努力は自分を裏切らない」
その一心でひたすらに食べることを我慢した。

発症から約1年のあれこれ、そして進級を獲得するまで

地獄の宿泊行事から帰宅後、いつまでも体調不良、食欲不振が続くわけもなく、正直、お腹はすいていた。
しかし、その時にはすでに空腹を感じつつも、
食べ物を食べることを『恐怖』と感じるようになっていた。
なぜなら、食べること=自分の肉となり、『体重増加の原因』となるから。
そして、自分の食欲という「欲求」をコントロールでいない自分は努力不足だと感じるようになっていたから。

当時、一日にどのくらいの食事を摂取していたか、今となっては定かでないが、一日に500kcalも食べたらこの世の終わりだ、くらいに考えていた。
朝食、昼食(お弁当)は手付かず、夕食は両親に強引に食卓に座らされ、
何とか野菜を食べる程度だった。
そんな生活を続けていたら、当たり前だが、
食事を拒否するようになってから約1ヶ月半で13キロの減量に成功?してしまった。
半袖の季節ではあったものの、セーターを着ていたからなのか
私の変化に気づく教員はほぼいなかった。担任も同様に。

起立性調節障害や不登校をきっかけに、
中学1年の頃から、大学病院の小児科、思春期外来の専門医に定期的に診てもらっていた。
どのような状況かわからなくとも、ひたすら食べずに痩せた娘の状況を理解できなかった母は、すがる思いで、受診時に事態の一部始終を話したようだ。(私は同席していなかった。)
ことの重大性を判断した医師は、摂食障害で有名な大学病院に紹介状を書き、初診は数ヶ月待ちという外来予約をすぐに取り付けてくれた。
このままだと命に関わる、入院は免れないと思ってください、と。
そして、そのような急激な体重減少のまま、通学などしている場合ではない、と「通学不可」という診断書まで添えられてしまった。
(当時の私は、なんて余計なことを、と非常に不満だった。)
そして、私はその診断書のお陰様で、夏休みに入るまで
欠席し続けることとなった。

正直、確かに体力の限界を自覚していた。
カラダは思うように動かなくなっていた。立ちくらみやめまいは日常茶飯事。手足が痺れて動かせない、など、自分でも正体がわからない大きな不安を感じていた。
しかし、だからと言って「食べる」ということを私は自分に許さなかった。
それを許したら、「自分に負ける」から。

大学病院の外来初診時、もちろん医師は摂食障害(拒食型)を前提に診察を進める。入院の日取りまで決まっているような口ぶりだった。
私は、当時、誰に対しても「摂食障害」であることを認めなかった。
ひたすらに否定し続けた。
その否定の内容は、
「体重を減らして痩せたいわけではない、食欲がなく、食べたくても食べられない、胃腸の不快感が強いのだ」と。
繰り返しの主張により、私についた診断は
『機能性胃腸症』。
ナニソレ、と正直思った。自分では拒食症だって分かってたから。
でもなぜか、当時の自分はその事をどうしても認めたくなかった。
多分、体重や体型にこだわって、健康管理もできない自分を「恥ずかしい」
と思っていたのだろう。
どうにかこうにか入院を免れ、「次回までに○キロ」という、
苦痛でしかない約束を取り交わす診察が続いた。
ある程度の体重回復がないと、通学再開の許可は出せないと言われ、こっちも必死だ。何せ高校だから、最低限の単位や出席日数、成績が進級の必要条件となる。
こんなことを暴露すると、多くの人からお叱りを受けるであろうが、
当時の私は考え抜いた末に、
トレーニング用の鉄のダンベルのような棒を購入。
持っている服の中でも一番重そうでゆったりした服、
そしてポケットなどに「おもり」を忍ばせ体重を誤魔化した。
今思うと、何と無意味な診察と時間だったろう。
しかし、その甲斐あって?、体育こそ許されなかったものの、
「通学許可」となり、無事に高校2年生へと進級した…。
が、しかし。
ここからまた苦悩の日々が始まったのだ。

この上ない『劣等感』に苦しんだ地獄の2年間、そして卒業

高校2年,3年、あるクラスメイトがいた。
その子は高2の初日からしばらく学校にこなかった。
担任の先生は、「体調が悪くしばらくお休みをする」とだけ説明した。
その子が初めてクラスに登校してきた日、
その子を一目見た瞬間、『わかった』。
摂食障害(拒食症)、見るからに痩せこけていて、
脚は棒のよう、顔色なんてものはなく、真っ白真っ青。
一体何キロなんだろう、と心の中で思いつつ、
何となくモヤモヤとした感情が湧き上がっってきたのを覚えている。

当時の担任の先生は、こころのあたたかい数学の先生。
その子の初登校を歓迎して、授業中や朝礼終礼で
「マジック」を披露したり、(数学の授業をしてくださいな)
クラスの雰囲気を明るくしよううと、
楽しい話題をたくさん提供していた。
はたから見て、彼女のほうが明らかに重症。
(彼女は入院のため長期欠席、または入院先から通学していたこともあった。)
本人から聞いた話だが、当時の担任は、彼女の入院先に何度もお見舞いに行っていたそうだ。
そして、学校でも、担任はもちろんのこと、学校中の先生たちが彼女のことを気にかけたいそう心配していた。
担任の先生は2年間同じだった。

こんなことは私のわがままだと、重々承知している。
だけど。今になって思うこと。
彼女には彼女の、私にはわからない苦しみや辛さがあっただろう。
しかし、自分も体力がなく、彼女と比較せずとも、一般的に考えれば
心身ともに弱っていたのは目に見えて分かったはずだ。
現に高2,3年の時も、体重減少、体力低下を原因に、約1ヶ月欠席した。
たびたびの体調不良で、保健室で休む、遅刻欠席早退はよくあることだった。そして、卒業まで体育の授業への参加はドクターストップだった。
しかし、教員たちが一同にきにかけ、あらゆる配慮をし、日々心配していたのは「彼女のこと」。
私も心療内科に通院していることや診断書などを提出していたが、
(この時すでに診断名は「神経性無食欲症」に変わっていたと後に知った。)
彼女の重大性があってか、私のことを特に気にかける教員(担任含め)はいなかった。

正直な気持ち。いまだ、誰にも言ったことないけど。
すごく、すごく、さみしかったし、つらかった。こどくだった。自分のことも少しは気にかけてほしかった。』
彼女を非難するわけではない、もちろん彼女がわるいわけでもない。学校の先生たちが悪いわけでもない。
しかし結果として、
彼女と同じクラスで2年間過ごすことによって、
私は、より一層強力な『劣等感の塊』となった。
彼女が学校に来るのは私より少なかった。
元来の性格は変わっておらず、授業中は大声でしゃべり、構わず教員にツッコミを入れるなど、はっきり言って自由奔放。
かと思えば、一日中突っ伏して爆睡、何てことも日常。
だけど、咎めたり注意をする教員は誰もいなかった。
彼女は特別待遇、ナニをしても許されていた。

私は、眠い中、体調がすぐれない中、行きたくない学校に頑張って行って、必死に授業を受けていた。
うたた寝をして怒られたこともあった。

悔しくてたまらなかった。

私は、彼女の特別扱いや、みんなから心配されるのは、
もちろん彼女が『痩せているから』だと思った。
事実そうだっただろう。
ただでさえ、クラスに自分よりはるかに痩せている子がいるだけで、
劣等感を覚え、もっと痩せなければ、と思うのに、
それに加えて彼女の特別扱いっぷりを目の当たりにするのは、
つらくてたまらなかった。

地獄のような2年間だった

そして、授業をほぼ聞いていない彼女は、
私に「授業ノートを貸して」「あれやこれや見せて貸して」と当たり前のように言った。私のノートなんか、彼女にとって何の足しにもならなかっただろう。
受験塾に通う余裕なんかない、高校卒業したらしばらく休憩する、と私に話していた「彼女」。そんな彼女は私たちが見えないところでどんな努力をしていたかわからないが、元来の能力の高さもあって国立の有名大に合格、進学が決まった。

私は全てにおいて彼女に負けたのだ
いま思い返せば、私にとっては
何という苦痛極まりない環境だろうと思う。
当時は、自分が「今日」を生きることに精一杯だった。
なんとなくイヤだ、という感覚しかなく、
客観的に状況を把握し、言語化することができなかった。
いまこうして、ここに当時のことを記しているが、
この気持ちはいまだに、誰にも話したことがない。

まとめ


誰が悪いわけでもない。
だが、
私にとっては、ただただ「劣等感」を押し付けられ、
惨めな思いをした最悪の2年間だった。

今回も、ここまで読んでくださったみなさま
お付き合いいただきまして本当にありがとうございました。
まだまだ文章力に欠け、実に読みにくいと思いますが、
これからも、ポツポツと精進する「つもり」です。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします🌻🧸

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