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私がある日突然失ったものは『声』。そしてひろみちおにいさんへ🫧「にじのむこうに」

神様がいるとするなら、イジワル。そして嘘だと思いたかった「弘道お兄さん」に起きていたこと

神様はどうしてこんな意地悪をするの、と言いたくなるようなことがある。
私は今朝、思った。
ニュースで
「体操の弘道お兄さんが下半身麻痺になったことを…」
一瞬時が止まったように感じた。

うそだ。あのひろみちおにいさんが。

私は、しっかりひろみちおにいさんで育った世代。
毎日、楽しそうな笑顔で、体を動かすこと、体操の楽しさを
画面の向こうから教えてくれた。自分も見ようみまねで一生懸命やった。
そして、幼稚園では、リトミックや体操、をやっていたので、
うまくいかない時には、弘道お兄さんはすごいな、と心底思っていた。
こんな表現は、今の弘道お兄さんにとってはこくな表現となってしなうかもしれないが、
弘道お兄さんは「カラダを思うがままに動かす天才だ!」と自分は思っていた。

そんな弘道お兄さんが、脊髄梗塞により、下半身麻痺
今は全く歩くことができません

意味がよくわからなかった。
神様はなんてことをしてくれたんだ、と
悲しみと衝撃、怒りのようなもので、しばらく固まった。
これが今朝の私だ。

そして、ずっと、ここnoteに書こうと思っていたことがあった。
なかなかまとまらず、後回しにしていたのだが、
この件もあり、やはり書こう、と思った。
それは。

私がある日突然失ったもの、それは『声』。そして生きる世界、全てが変わってしまった。

題名の通り、私はある日、突然、なんの前触れもなく「声」を失ってしまった。年の瀬か、年が明けた頃か。
その頃、これまでにないほどの精神的負荷がかかり、それが身体の症状にまで現れていたのを明確に覚えている。
初めは、風邪、寝不足、疲れかな、などと考えていたが、予想は見事に外れ、
失声」の中でも、おそらく、「心因性失声」だろう、と。
もしくは、「緘黙」という可能性も否定できないが、
今、そこまで突き詰める必要はないだろう、というのが主治医の見解だった。

いずれにしても、「声」を無くしてしまったわたし。
最低限、主治医や家族、そして愛犬2匹とは「話し」をしていたのに、
それが全くできなくなってしまった。
ひたすらに「筆談」。
しかし、おしゃべりするようにスムーズに進まないのが、両者にとって非常にまどろっこしく、時に苛立ちの原因ともなる。

その他、引きこもっているわたしが唯一会うとすると、お付き合いしているパートナー。
彼は動じることなく、現状を受け入れてくれた。
そして気分転換に、と休日ランチに連れ出してくれた。

そこで、またあらゆることに気づくこととなる。

今まで当たり前だったことは、何一つ当たり前ではなかった、幸せなことだった、と失ってから気づいた

ランチに向かう途中、
「最近どう」「今日ちょっと寒いね」「あんな建物あったっけ」「ねぇねぇあれ見て」…。
何一つ言えない。何一つ。
なんで。悔しくて泣きそうになるのを必死にこらえた。
お店に着き、彼が注文をしてくれた。

お料理が来るまで、「ノートで筆談
わたしが書いて、彼は話す。
でも、わたしから彼に伝える時、お互いが見ているのは、
「ノートに書かれる私の文字
」。
お互いの顔でははない。
私は彼の顔を見て、伝えたいことを伝えられなくなってしまったのだ、と
強く思い知らされた。
そして、ほんのちょっとのタイムラグ。ほんの些細なことだけれど、
悔しくて、悲しくて。
でも、コミュニケーションが取れるだけ、マシなんだ、と自分に言い聞かせた。
伝えたいことや聞きたいこと、たくさんあって。
必死だった。

字を書き、読んでもらうのは、「会話」の何倍もの時間と労力を要する。
だから、いつもより時間がかかっていたはずのお料理も
一瞬で出てきてしまったような気分だった。

お料理が、お盆にのって、「テーブルいっぱい」になった。
いつもだったらきっと、嬉しいはず。
お待ちかね、お腹ぺこぺこ!

だけど、わたしは正直「もう来たの」としょんぼりだった。

『ノートは撤収』。
つまり、『これにて会話は一時中断』。
お食事は美味しかったと思う、
彼から「美味しい?」と聞かれれば、頷くことで返事ができる。
しかし、自分からは、何一つ問いかけることができない。
何も聞けない。
「これちょっと食べる?」「それちょっとちょうだい」
そんな当たり前だったことすら言えない。
ましてや、食事中に普段の話なんかできるわけもない。

気づいたらわたしは「大号泣」していた。
自分でも、わけがわからぬ間に涙が溢れてしまったのだろう。
当たり前だと思っていたこと、
どれだけありがたいことだったのか、改めて気付かされた。
そして、自分が声を失ったこと。理由がわからない。
いつ治るのかもわからない。
悔しさや、絶望で、うちのめられそうにもなった。

その他、不便なことや、周囲からの目、余計に引きこもってしまったこと。
あげ始めたらキリがない。

特に上げるなら、電話
友人はともかく、何か問い合わせたい時、当たり前に書いてあるのは
電話番号」。
最近は、電話対応という業務を減らすためにわざと番号を書かないところもあるが、大体、正式なところであれば電話番号が書いてあるだろう。
かつても自分も電話番号を検索し、そこへ問い合わせていた。

今。電話番号しか書いていないと、お手上げ。」
もうこれ以上自分にできることはないのです。
FAX番号、チャットでの問い合わせができるところもわずかに、
ほんのわずかにあるけれど。
ほぼ電話。
メールでのお問い合わせには一週間程度お時間をいただきます、など…。
話せない。とは、こういう生活なのかと、思い知ったのです。

そして、音があるものに、無音は勝てません。
あらゆる連絡も相手が通知を切っていれば気づかれることもなく、
家の中で見えないところから、家族を呼ぶこともできません。
愛犬の名前を呼んで、おいで、と言うことすらできないのです。

こんな生活がしばらく続き、最初は泣いてばかりだったものの、
ようやく少しずつ慣れてきました。
それでも、いまだに、涙堪えきれないことは度々です。

そして、弘道おにいさんへ

今朝の衝撃。
今でも、嘘であってほしいと、勝手に思っている自分。
繰り返すようですが、なんでひろみちおにいさんが、と。
残酷な世の中だな、と思いました。

発症してから、昨日の発表まで少しの期間がありました。
どんな状態で、どんな気持ちで、どんな思いで、これから…。
こんなこと、わたしが勝手に推測してわかるわけがない。
彼の苦しみや気持ち、わたしがいくら推測したってわかるわけがない、
わかってたまるか、ってやつです。
でも、どんなに苦しい、悔しい、他にもわたしには想像もつかない、
多くの感情があるのだろう、と考えては、勝手に心を痛ませている、自分。

そんなひろみちおにいさんが、今日もどこかで懸命に生きている、
そう思うと、揺れ動く気持ちの中、自分も頑張らないと、と思うのです。

そして、ご本人のお気持ちは計り知れないけれど、勝手に言わせていただくなら、
何よりも、生きていてくれてあるがとう。と思いました。
ご本人のことは何もわからないけれど、
わたしたちにとって、「ひろみちおにいさん」であることに
なんの変わりもないのです。
ひろみちおにいさんの「笑顔」これも、私たちを育ててくれた
大切な宝物。
また、何かの機会にお姿を見られることを、心待ちにしています。
「ひろみちおにいさん」は「ひろみちおにいさん」
これはどんなことがあろうとも、私にとって一生変わりません。
私の幼少期の、体操のお兄さん、ヒーローです。

今はどうか、
ご自身をたいせつに、ご無理なさらずに、
お過ごしください。🧸

弘道お兄さんへ。そしてみんなに届けたいうた🍀「にじのむこうに」🌈🧸

じぶんが、子どもの頃から大好き!
今でも一番好きなうたをおくります。🌈
(じぶんは、最近、落ち込むと毎日きいています。)


(ちなみに、つむのところには、来月頃に注文していた車椅子がようやっと来ます。🫧)

長文、お読みくださった方、ありがとうございました。🌻🧸

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