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🇩🇪全ての挑戦が私を作った~200人のいじめを超えて~#想像もつかなかった私の未来


私なんて居なくなりたい。

中学生の頃、私は毎日そう思っていました。

200人以上の同級生、さらには保護者や先生までもが加わったいじめを受け、学校には居場所が一つもありませんでした。些細な誤解から始まった噂が広まり、孤立無援の日々が続きました。トイレでお弁当を食べた日もありました。

気づけば人間不信、重度のうつ病、対人恐怖症。文字が読めなくなる失読症や、言葉を発することすらできなくなる場面緘黙症も次々と発症しました。「自分はなぜ生きているんだろう」――そんな自問ばかりが頭をよぎる毎日でした。

そんな中、唯一私を支えてくれたのがトランペットでした。トランペットを吹いているときだけは、そこに自分の存在価値を感じていました。
「これが私の生きる意味だ」――そう感じられる唯一の瞬間でした。

「挑戦と挫折の連続」

高校生になっても、私は変わらずトランペットに全てを捧げていました。授業が始まる前の早朝、授業の合間の休み時間、そして放課後。少しでも時間があれば楽器を手にしていました。

それだけでは足りず、富山から東京まで片道8時間の夜行バスに乗って、週末はレッスンを受けに行きました。家計を助けるため、アルバイトをしながらの練習の日々は肉体的にも精神的にも苦しいものでした。それでも、プロになりたいという一心で走り続けました。

しかし、第一志望の東京芸術大学には不合格。どれだけ頑張っても「才能がない」と言われたような気がして、心が折れそうになりました。それでも、諦めたらすべてが終わる。浪人生活を始め、一人きりで練習を続けました。

アルバイト先でも再びいじめを受けました。「自分には本当に何の価値もないのではないか」という考えが頭を支配しました。それでも、唯一の救いである音楽を信じて練習だけは続けました。


「初めての海外、運命的な出会い」

そんな中、あるコンクールの全国大会で受賞し、ドイツ・ハンブルクでのレッスンを受けるチャンスを得ました。そこで人生初めての海外に向かいました。

緊張と不安でいっぱいでしたが、そこで憧れのトランペット奏者、イェルーン・ベルワルツさんと出会うという運命的な出来事が待っていました。
彼は「若いうちに早く来たほうがいい」とアドバイスをくれたのです。その言葉に背中を押され、わずか2週間後には再びドイツへと飛び立ちました。

周囲からは「無理だ」と言われ続け、先生や祖父からも出発前日まで反対されました。それでも、自分が信じた道を進むことしか考えませんでした。


「渡独、想像を超える試練」

ドイツでの生活は試練の連続でした。言葉も文化も分からない中で、初めての一人暮らしをし、ビザの取得にも苦労しました。さらには詐欺にも遭い、何度も泣きながら過ごしました。それでも、音楽だけは手放さず、ドイツの国立音楽大学に合格しました。初めて「自分の努力が形になった」と感じた瞬間でした。

在学中からプロとしての仕事が増えましたが、学業との両立は想像以上に過酷で、ついには両腕に重度の腱鞘炎を発症しました。

痛みを無視して仕事を続けた結果、半年後には紙すら持てなくなり、ステージ上で楽器を落としそうになったこともありました。ドイツ中の整形外科を訪ねても治せる医師は見つかりませんでした。

「3か月で治せる」と言ってくれた整骨院が日本にあり帰国しましたが、状況はむしろ悪化。バイトも続けられず、生活費や治療費がかさむ中、日常生活も困難になりました。お箸すら持てず、一人でご飯を食べることもできない日々が続きました。


「再び訪れた転機」

日本には「3ヶ月」の一時帰国のはずがドイツに戻れなくなっており、またトランペットを吹ける自信もなく日本にいてもう3年の月日が経ちました。
今後を決めるため、私は再びドイツへ行き現地の合宿に参加しました。そこで出会ったのは、最初の先生イェルーンさんと、世界的な巨匠ラインホルト・フリードリヒ先生でした。

ラインホルト先生は、私の過去や怪我について真剣に話を聞き、励ましてくれました。世界の巨匠です。とんでもなく忙しくお話なんてしてもらえるわけないと思っていましたが、合間を縫って一緒に奥様を交えて私が元気が出るようにと食事をさせていただいたり、ご夫婦のご自宅に泊めていただいてレッスンをしていただいたり。

一生忘れることができない、感謝しても仕切れない日々でした。
その支えにより、再びトランペットに向き合う気力を取り戻しました。そして奇跡のように腕の痛みが消えました。

そして昨年、いじめを受けた地元富山県で大舞台に立ち、オーケストラをバックに協奏曲を演奏しました。(トップ写真参照)私の挑戦が報われたと思う瞬間でした。


「過去を手放し、新たな未来へ」

振り返れば、私の人生は挫折と挑戦の繰り返しでした。それでも、どんなに小さな希望でも、それを信じて進むことが未来を切り開く鍵だと今は分かります。

今、私は平日は音楽教師として生徒たちに音楽を教え、週末はプロの演奏家として活動しています。

当時の私は「何の価値もない人間だ」と自分を責め続けていました。今も理想の姿には程遠いですが、それでも自分が達成したことを思い出すと気づきます。

「無い」ものばかりに目を向けていては、未来は見えない。

私はドイツという修羅場を一人で潜り抜け、世界の巨匠たちと出会い、何リットルも挫折して泣きながらも挑戦を続けてきました。コミュニケーションが取れないと悩んでいた私は今ではドイツ語を使って仕事をしている自分がいます。

まだ将来は不安ですが、それ以上に可能性を信じています。一心不乱に夢に向かって走れば、それは必ず大きな結果に繋がると確信しています。

私はこれまでの悔いやトラウマを手放し、また次のステージに向かって走り出すことを決意しました。

今、私には新しい夢があります。それは、トランペット奏者としてさらに自分を高め、世界の舞台で音楽の力を伝えていくことです。

あの頃の私がこの未来を想像することは決してできませんでしたが、今ならはっきりと言えます――

努力は、必ずどこかで形になる。そして未来は、自分の手で切り開けるのだと。

私はその未来を信じて、これからも歩み続けます!!!

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