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やっぱり私って変わってるんです。そんな私を愛してください

本当に変わっている人は、自分のことが変わってるなんて言わない。

でも、変わっている人に見られたい。

いつから私は自分が変わっていることで承認欲求を満たすようになったんだろう。今は「変わっている」という言葉では満たされてない気がする。

いつから、私の周りは変わっているといえるぐらい面白い人ばかり集まるようになったんだろう。

というか、いまは普通になりたいなんて少しも思わない。オリジナルな変な私がやっぱりすき。そんな自分に酔ってる自分がやっぱり好きだしかっこいい。

「変わってるね」って、小さい頃からよく言われてた

「みんなと一緒になりたかった。」

私がこの今の環境の中で自分は出る杭だった。「出る杭は打たれる」という日本独自の文化の中で生きてきたんだなって実感してる。出すぎて撃たれすぎたのかもしれない(笑)

私は小さいころよく「変わっているね。」って言われた。そういわれるたびに自分が他人とは違うところがあると思って不信感を抱いてた。

私は小さいころから身長がもともと高かった。幼稚園の頃から背の順で並ぶときは一番後ろか、後ろから二番目。今考えれば背の順で並ぶ理由がわからない。

他にも、極端に人と話すのが苦手だったり、勉強が好きだったり、ひどい悪夢を定期的にみてたり、普通に遊んでいたはずがよくわからない感情が出てきてしまって泣き出したりした。小さいころの私は変わってた。

いわゆる、いろんな人に好かれるタイプの子供ではないことを自覚してた。

変わっているのは私の性格だけじゃない。親族が柔道場を持ってたり、教室を開いている先生をしていたり、何かと顏が広かった家族に生まれてきた私。

話すトーンだったのかな、しぐさだったのかな、きっと感覚的でわかる違和感ってやつが過去の私にはあった。もしかしたら、今もあるのかもしれない。だから、「私は変わってた。」

今思い返せば、学生時代長くいじめられたのは、その子や環境のせいだと他責にしていたけれど、本当は自分に大きな原因があったんだと思う。

自分がどう変わってるか、何が変わっているかわからなかった。自分がいじめられる理由は自分がみんなと違っている部分に気が付けなかったから。気が付いたとしても、一時しのぎの対症療法でしかしなかったからだと思う。

おとなになるにつれて、「変わっている自分」であることが自分の承認欲求を満たしていた

自分が変わり者と言われることが嬉しいと勘違いしてた。

それは私の周りが「いい意味で変わってると思う」って言ってくれるからなのかな。

「変わっている」って言われることで「自分は特別な存在」って思ってたからかな。

「変わっていること」への強いあこがれがあった。

大学に入ってから今まで過去の変わっている自分が自慢になった。もともと、少しマウンティング気質だったのかも知れない。

今までは、不登校だったり、海外に行ったり、ヤンキー小中学校に行ってたり、いじめられてたり。そんな私の話をみんなが自分にはない世界観だと興味を持って聞いてくれる。新鮮な反応をしてくれるそんな瞬間が好き。変わっている自分を発信することで、友人から自分が魅力的に映っている気がした。変わっていることが個性として見られる感覚が好きだった。

だから「変わっているね」って言われることが嬉しくてうれしくて、あえて、進んで人とは違うことをするようになった。大学ではサークルに入らなかったり、一年生からインターンを始めたり、ウイスキーを勉強したり、普通の大学生にはなりたくないって思ってた。

本当の自分は、本質的に自分が変わっていなかったとしても、他人と自分を差別化したいがために行動してた。人と違うことをしている自分ってすごいかっこいいって思ってた。

でも、ふとした瞬間に思う。自分って承認欲求のために生きてる。そんな人間ってつまらない。

私って口だけの女で、今はなにもしてない子供じゃないか。って。

でも承認欲求以外の欲求じゃない「自分軸へのあこがれ」がある

でも、考えてみれば私の周りは変わってる人しかいない。

私の周りにいる彼らたちは、自分の欲望のまま素直に行動している人が多い。

今までの学校生活を全て正座で過ごしている友人。極端にアートに愛を注いでいる人。よくわからにお宅気質の人。すさまじい金持ち。「ロマン」に人生を注いでいる人。メンヘラちゃん。振り返るほどの美人。こだわりで会社まで作ってしまった人。

自分で社会の中でタブーとされてること、逆によいとされてることを比較なんかしない。自分が強めな人が多いし、一緒にいて本当に楽しい。

「みんな大人になったら自然と我慢を覚えるようになる。自分基準だったけど、他人から見た自分を意識できるようになる。」

みんなそんなことなんてこれっぽっちも考えていない。他人からの目を気にしないようにできる人じゃなくて、そもそも気にすることができない人ばかり。そんなみんなが面白い。

もちろんそんな変な人ばかりだと感情が爆発しすぎて大変だからある程度感情が共有できる人もいる。それは、「本当の性格はまじめってだけど、かわろうとしている人。」

やっぱり意識しているしていないにかかわらず、変な人が好きなのだ。そして自分もそうなりたい。今の私が持っている、「変わってる人でありたい。」ていう感情は承認欲求が満たされたいからじゃない。

ただ単にそういう人が好きなのだ。

ブレることのない自分の感情にとことん素直に行動してる。

「誰かからどう見られるかじゃなくて自分が好きだから」っていう自分軸で何か行動できている姿はやっぱり、すごくかっこいい。

私って変わってる人になりたいって思ってる真面目な人間だけど、変わってる

「自分って変わっているかな」って口に出してしまうと、その自分がなぜだかチープな承認欲求を求めている人にみえるんじゃないかと思ってた。

話を聞いてくれる人が私のことを「本当に変わっているのか」と粗さがしを始めてしまうのだろうかとか、変な心配をしてた。

「本当に変わっている人は、自分のことが変わってるなんて言わない」そんなことは知ってる。でも、生きてくると自分って人とちがうことが多いなって感じる。だけど他人と比較することさえ意識しなくなってきた。

だから、自分のことを変わってると思うのもすごく魅力的じゃないかなって。

私ってやっぱり変わってる。個性的だし、変だし。あとかわいくて、勉強もできて、美人でスタイルもよくて、行動力もあるんです。ただ少しだけ対人関係が上手じゃないだけで。

「やっぱり私って変わってるんです。そんな私を愛してください。」

P.S.
最後まで読んでくれてありがとうございました。感情で書いてしまった部分が多いのですが、私のような人はすくなくてもいるのではないのでしょうか。そんな人のことをいろんな人にもっと知ってほしい。そんな思いで書きました。この記事を読んだ人に少しでも救われる人がいますように。読んだ感想をコメントで聞けると嬉しいです。

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