辛いときは、自分より下の人を見て”自分を慰める”私がいてもいいんじゃない
辛いとき、自分より下の人を見て”自分を慰める”私がいることが恥ずかしい
「私より貧困な人がいるから、すごくつらくても私はまだ頑張れる。」
「テスト勉強を頑張ったのにで点数が思った出なかった。だけど、私よりできていない人もたくさんいて安心する。」
でも、つらいとき、何よりも強い一番の慰めは、尊敬している友人からの言葉でもない。現実逃避でもない。それは、自分よりもっと不幸な他の人たちを見ることだと思う。
でも、みんな絶対いう。
他人の生活と比較することなく、自分自身の生活を楽しめ。って
私は思う。「そんな簡単に人生いったら、悩んでねえよ。」
無駄と知っていても”他人と自分を比較する”ように人間はできている
他人と比べてしまうということは、周囲と比較して自分を卑下してしまい、劣等感を抱く原因になってしまう。
だから、他人と自分を比較するのは本当に無駄。
その劣等感の中のごく一部が行動のモチベーションになることはあるかもしれない。だけど、他人と比較して生まれた感情はほとんどお金にもならないし、自分の思考回路がどんどんネガティブになるだけ。
常に何かと自分を比較して生きていると「自分軸」で生きていけなくなる。自分の人生を「他人軸」で生きるようになる。だからいざ本当につらいとき挫折してと這い上がれない。
でも、だからと言ってどんなにすごい天才であったとしても、どんなにすごいビジネスマンだったとしても、どんなだけ美人の人だったとしても、他人と自分をまったく比較しないで生きている人なんて絶対いない。
人間にとって「何かと比較したくなる」って感情は「ごはんを食べたい」っていう気持ちと同じレベル感で生まれてくるもの。
他人と比較していないように見える人は、比較してしまう自分の感情をどうとらえているか。
自分軸をもって自分の感情を判断することができれば、周りが評価しなくても、自分が「いい」と思えて納得できる。
でも、反対の他人軸で生きている人は、人が「いい」と言ってくれないと自分の作る物や自分そのものがが評価できない。だから幸せを感じにくくなるる。他人軸でいきるってことは、自分の幸せを他人にゆだねるからこそ、自分を守る点に自分勝手になってしまう。
他人と比較しない人は強い。でも、他人と比較しても明るくいられる人はもっと強い
他人と比較しない人は強い。だってネガティブな感情が生まれないから。
でも、そもそも「自分と他人と比較すること」自体は悪くない。
だって人間は比較することなしに、ここまで成長をすることはなかったから。
誰だって、ライバルがいるからこそ頑張れる。負けたくないって思えるから頑張れる。
そもそも、比較対象がいないと、自分がどんな人間かを知ることもできない。「自分が無知だということ」でさえ比較なしでは気が付けない。
自分が無知であることを自覚できないと、全て他責にしてしまい思考停止する。考えることをやめてしまうのだ。
そもそも「”わかっていないこと”をわかっていないこと」に気が付けないとなんの成長にもつながらない。
そもそも、「他人と比較するのはだめ」っていうのは「過去の自分や、他の人と自分を比べたとき”いまの自分はダメでたりない人間だ”と思うのは良くない」ということを簡略化して表現してるだけ。
辛いときは、自分より下の人を見て”自分を慰める”私がいみんな誤解しがち。
つまり、他人と自分を比較しても自分の価値を低く捉えなければいい。比較から自分を否定しなければいいってこと。
自分と他人(ライバル)を比較して頑張れる方が、より自分を強めることができるから絶対にいい。
アドラー心理学みたいに、他人との比較からではなく、理想の自分との比較した方がすごくいいのかもしれない。でも、他者との比較なしに、自分の理想を常に自分の中から生み出すことができるのは一部の天才しかこの世にいない。
私たちはほとんど天才じゃない。
だから、他人と比較して自分のことをダメだと責めてしまうのは普通のこと。だからこそ、他者と自分を比較しない人は強い。
でも、他人と比較したうえで学び、明るくいられる人はもっと強い。
だって自分のことをダメだと責めてしまうのは感情でさえ受け止め、自分の”ばね”にしているってことだから
「頑張ったのに出来なかった」って悔しがるのは、そもそも間違っている
自分の努力は必ず報われるとは限らない。努力が必ずしも”できる”につながるわけじゃない。
一生懸命自分の力の最大限を使ったのに、出来なかったことがあったときめちゃくちゃ悔しい。だから「頑張ったのにできなかった(他人だったらできるのに)」って言っちゃう。
「頑張ったのにできなかった」という言葉には、(他人だったらできるのに)っていう表現していない部分が存在する
他人と比較して”自分がだめだった”って悔しがってるのだ。でもまだ心はおれていない。
だから、、その失敗があったからこそ学べるものがたくさんある。頑張らなかったらその「くやしさ」は一生感じることができなかったものかもしれないぐらい貴重な経験なんだ。
だから、自分の努力は必ず報われるとは限らない。努力が必ずしも”できる”につながるわけじゃない。
でも、絶対、努力した事実と経験は消えない。
私は、無知である人より、失敗もせず知ったかぶりをしてる人になりたくはない。
物事の仕組みに対する自らの知識を過大評価し、本当は知らないくせに物事の仕組みを理解していると思い込んで生活してくと、思考停止の状態から永遠に抜け出せない。
それより、頑張ってみて、それでももできなかったことが分かればもう十分すぎるぐらいすごいことだと思う。
大人になればなるほど、ひとは良くも悪くも、ものごとを客観的に、ただしく認識できるようになる。だから、根拠なき自信を維持することが、段々とむずかしくなる。するといらない思考ばかりが邪魔をして”真剣にがんばる”ことが本当に難しくなる。
それに”比べて”、あなたは本当にすごい。だってもう頑張った結果があって、出来ない結果があって悔しいと思えているのだから。
辛いとき、自分より下の人を見て”自分を慰める”私がいてもいいんじゃない
「そんな人間って上手くにできていないから、人と比べてもいいのよ。
ほどほどでいいのよ。ほどほどで。」
おばあちゃんがいつも私に言ってくれてた。おばあちゃんは今は普通にゆっくり暮らしてるけど、もともとはご飯をお湯で伸ばすのが当たり前の貧困層だった。戦争でたくさんの友達を亡くしたり、頑張って貯めたお金で家を建てても火事で2回も全焼したり、時代的に男女差別をいくら受けても声を上げられない環境だったとしても、文句を言わずすごい努力で私たち家族を養ってくれてた。
そのおかげで、私の家族はごはんに困ることなんて一度も経験しなくて済んだ。普通に寝るお家もあるし、私立の大学にいく孫も何人もいる。
そんなおばあちゃんの言葉が20年以上かけてやっと分かってきた気がする。
ほとんどの人が他人と自分を比較する。
自分と人と比較することは悪くない。ただ人と比較して”自分をダメだ”と思ってしまう事がだめなの。
比較から見えてくる世界はものすごく広い。比較するから頑張れることもたくさんある。
だから「慰め」が必要なときだけは他人と比較してもいいんじゃないんですかね。
比較する対象をまちがえたり、人を傷つけないように気を付けないといけないけど、、自分のために生きるのって幸せだなっておもいます。
P.S.
最後まで読んでくれてありがとうございました。感情で書いてしまった部分が多いのですが、私のような人はすくなくてもいるのではないのでしょうか。そんな人のことをいろんな人にもっと知ってほしい。そんな思いで書きました。この記事を読んだ人に少しでも救われる人がいますように。読んだ感想をコメントで聞けると嬉しいです。
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