熱狂的ファンに気がついたらなってる。オタクがいるコンテンツってすごい
オタクってなんなんだ!!!というか、ファンってなんなんだ。!!!!!
今日、朝の4時に、田端さんのハロプロへの愛を感じまくった。彼は、根っからのハロオタらしい。
それが、私の初めてのオタクとの会話。ガチ勢とのコミュニケーションだった。正直いうとオタクには今まで偏見をもってでしか見たことがなかった。だってそもそも「私は○○オタなの。」って言っている人が周りにいなかったから。
でも、彼のおかげで、コンテンツとファン(オタク)の関係って、他にはない特別な関係だと気が付いた。
今日は、オタクの愛の世界をすこし覗き込んでみたいと思った私の好奇心から書き出した文章です。
田端さんのハロプロへの愛を理解したい方はぜひこちらを一読してみてください。
セクシャルとか関係ない。赤の他人へ愛を注げる熱狂的なファン。オタクに出会って衝撃を受けた
今日初めて、オタクさまとアイドルの関係性に愛を感じた。
今日の朝。アイドルとファンの関係性に驚いた。ファンというよりオタクさまの心の持ちように、驚愕した。
ファンを愛してるアイドル。
アイドルを愛すファン。オタク。
セクシャルとか関係なく、強い関係性で結びついてる。
親との間にある愛のキャッチボールみたいな関係性を、赤の他人に愛を注ぐことができるオタク。
私もその中の関係性の中のひとりになりたいとまで思った。「○○オタです。」って言葉が私には、かっこいいステータスのように聞こえた。
アムウェイとか、脱毛の勧誘とか、どこかの塾とか、知り合いのご飯とか、友人からの勧誘系はどことなく「しつこさ」を感じてしまう。
それは、きっとどこかで「勧誘してくる人たちが期待している見返り」が透けて見えているから。
私が、人のことを信用できない人間なのかもしれない。でも、その人が勧めたいものが、本当にその人が心の底から思っているのか疑ってしまうほどの「いやらしさ」が見えてしまうんだ。
でも、オタクは間反対だ。
オタクの愛のシェアの仕方は執拗に執着してこない。そのコンテンツを好きな自分に自信すら持っている。
だから、オタクは、他者に無理に理解してもらおう過度な期待などを一切していない。でも、もし自分がその好きなコンテンツをシェアハピして他者に愛が伝染したらより幸せだな、みたいなスタンスだと思った。
このことを真剣に考えるまで、正直、オタクの印象はあんまりよくなった。偏見でしかオタクを見ることができなかった。
でも、今日、オタクは本当にできてる人間だと、心底、尊敬した。
単純に「自分の好きなものをいろんな人に知ってほしい。」そう思っているオタクは超絶かっこいい存在なんだと気が付いた。
成果がどうであれ、コンテンツの存在自体が好きなのがファン。その熱狂的ファンに気が付いたらなっているのがオタク
今の私には、ファンとオタクとの違いがいまいちわからない。そもそも、オタクとファンは、コンテンツを愛している人ということはわかるけど、どうやったらなれるのか、今の私には全くわからなかった。
だって、今まで自分が「ファン」「オタク」になったと意識したことがなかったから。
今までは好きで”誰か”や”何か”を好きという気持ちで追いかけることはたくさんあった。でも、それは単純に「スキ」という気持ちだけ。好きな自分が何者かなんて表現する機会はなかった。
分かんなかったから、ググった。
ファンというのは、最初、「なんとなくその人を観ていると嬉しい」というところから始まり「その人が活躍したり、いい成績を出したりすると嬉しい」という段階を経て、「もう、ただ、その人が幸せそうなら、活躍とか成績とかどうでもよくなる」という境地に達するものだと思う。そして、最後は「ただ、その人がこの世の中に生きているというだけで、なんだか嬉しい」となっていく。 日本経済新聞 ーより引用
分かりみが強すぎた。これを言語化した人に感謝を全力で伝えたいくらいに。
ファンとは、そのコンテンツの成果がどうであれ、そのコンテンツの存在自体を応援しているってこと。
もう、納得感以外の何者でもなかった。
オタクとは、なろうと思ってなるものではなく、その好きなものを追いかけているうちに気づいたらなっているものだ。
みんな同じことを言ってた。
オタクは、コンテンツを愛してて、コンテンツに恋してて、理由はないけどめちゃくちゃ好きってこと。
結果、オタクはコンテンツに対して、単純におもしろいねで終わり切らない。コンテンツの熱狂的なファンでありコアファンである。だからこそ、結果的に、オタクはコンテンツの面白さの深堀している。
私のオタクになってもらえるくらい、「ファンの圧が強い」コンテンツをつくりたい
「ファンの圧が強い」コンテンツをつくりたい。
ファンの圧が強いというのは、熱心なファンとか、熱心なファンがいるコンテンツのこと。
「圧」というのは、「フォロワーの数の多さ」っていう意味じゃない。
そのコンテンツを支持してくれている人の数の多さを示しているわけではなく、少人数でも熱狂的なファンがいるコンテンツだということ。
それは、ただ指示してくれている人の驚異的な熱量が支えているコンテンツ。だから、私は、私のオタクがほしい。私の熱狂的ファンがほしい。
ふと、以前読んだ、末吉さんのnoteを思い出した。その中で、末吉さんがインタビューした編集者の柿内芳文さんの言葉が、私も忘れられなかった。
いろいろと工夫すれば、100人中30人が面白いと言ってくれるかもしれない。でもそんなもの全く求めていないんです。100人の中のひとりが熱狂してくれればそれでいい。
100人の中のひとりが熱狂してくれればそれでいい。
オタクは、熱狂してるファンのひとり。コンテンツのファンであることに自信を持っているレベル感の人。そこまで行けるのが熱狂的ファンであり、オタク。ああ、私もそんな熱い文章を読者さまに伝え続けたい。
そのためには、私ができていなかったこともたくさん見えてきた。読者さまの全てのコメントに対してリアクションさえもできていない。「オタク」や「ファン」という言葉を理解していくと同時に自分の努力不足を痛感した。
そして、私も、いつしか、”何かの””誰かの”オタクになりたい。熱狂的なファンになりたい。そのコンテンツに対して好きだと自慢できるぐらい熱中する対象を見つけたい。
だから、今日からは全力で読者さまと向き合い、全力で自分の好きを探求してみようと思う。
もう、いらないものを捨てるのはやめた。今は、私の本当に好きでやめられないものを見つけたい
小さい頃は全部が「スキ」か「きらい」だった。だから、ちゃんと言葉に出して「好き」って言えるって瞬間がある。
でも、大人になるにつれいろんなものと出会いがありすぎた。だから、自分の「スキ」が「好み」に変化していた。私が特定のものや人に対して、ずっと「すき」みたいな大きな感情がなかったのは、今までが「好み」として成立してたからかもしれない。
でも、今、やっと自分が何が好きで、何が嫌いな人間なのかだんだん見えてきた。
今までは、いらない執着的なものをそぎ落として自分の好きなものを見つけようとしてた。でも、今はいらないものを捨てるのではなく。今は自分に大事なもの、私の本当に好きな”もの”や”人”を見つけたい。
これからも私は、私の感情を大事にして私の好きなことを書き続けたい。
そして、反対に、私の作り上げるコンテンツも誰かにとって、本当の「スキ」なものになりたい。
私がnoteを書いている理由は、私の葛藤や感じたことを少しでもでも読んでもらって一度考えてみてほしいから。
私と同じ状況になった時の生き方のヒントやきっかけになってほしいと思っているから。
もし私と同じ状況にならなくても、私みたいな存在の人がいるよって知ってほしいから。存在をすこしだけでも知ってほしいから。
P.S.
最後まで読んでくれてありがとうございました。
今回の記事は今日の朝の会話をきっかけに自分なりに知っている情報を頭の中で整理しながら書いてみました。だから、表現方法や私の感じ方が間違っていて、誰かを気づつける可能性があるかもしれないんです。
だから、、間違っていたらぜひ、教えてください。
この記事を読んだ人に少しでも救われる人がいますように。読んだ感想をコメントで聞けると嬉しいです。
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