「絶対に自分に対して嘘をつかないこと」を守ければ、きっと幸せが待ってる
私は嘘をつく。
嘘をつかなくてもいい場所でも、簡単に口から嘘が出てしまう。その嘘は相手を傷つけない嘘であっても、自分を守るための嘘であっても。日常誰かを過ごしていると、かながらずと言っていいほど嘘をついてしまう。
その嘘がいつかはバレる。話を進めていくうちに、あ、、、、さっき嘘ついてしまったからこここ嘘つかないと、、って簡単な嘘が嘘で固まってしまう。
そして、いつしか、私はわたしじゃなく、嘘の私になっていく。
ねえ、教えて。 みんなは日常で嘘をつくことはないの??
私は虚言癖なの?
ねえ、みんなって大きな理由がないと嘘をつくことはないの??
相手に何かを隠したいってわけじゃない。ただ、その場を流したい時に嘘をついてしまうことってないの??
普通の人は必要に駆られて”しかたなく”嘘をつくものだよ。っていうけど、本当にそれだけなの??
みんな優しさの嘘だって、そこまで大きな問題じゃないからとりあえず軽い嘘で流してしまおう。って時だってあるでしょ??
たとえば、友達に「来月のこの日空いてる?」と聞かれたら、予定がないのに「ちょっと予定があるかもしれないから確認するね」と言ったり、職場で「この仕事進んでる?」と聞かれて、ほとんど手をつけてないのに「手をつけてます」って言ったり。
「嘘」って言ってしまうと、あまりいい印象を抱かないかもしれないけど、その場ではっきりした意思や決断をすぐ伝えるのが苦手で、できるだけ先延ばしにするために言ちゃうことだってあると思うの。それは嘘をついたのかもしれないけど、本当が今すぐ答える必要性に駆られてないからじゃないの?その嘘って悪いの??
嘘が全くつかないって人は本当にごく一部であると思うし、仕事は厳格かもしれないけどプライベートはそういうことがあったりする人って多いと思う。
自分がついてしまったウソは大きなウソじゃない。
そう思ってた。でもいつしか、ゆっくりと自分の心を苦しめてくる。なんだかわからない罪悪感が自分を傷つけていく。そう思っているうちに、「嘘つきだ」、「だらしない」と思われるのも怖くなっていたり、自己肯定感が下がらなくなっていく。
心の底で、本当に、嘘をつかない真面目な人間になりたい。って思ってるはずなのに。
そんな人は私だけじゃない。
他人のことを気にして生きてるわけじゃないと思ってた
「嘘をついたかどうかは他人にどう思われるかを気にしてるからじゃないの?」
そうなのかな?
正直、自分は今まで自分の人生を生きているものだと思ってた。
自分が好きな留学だってしたし、東京で暮らしているのも自分の意思。好きな本を読んでいる時も、好きなコーヒーを飲む時間も。こうやってSNSをやっているのも本当に自分がしたいと思っていて、大手に就職していないのも、こうやって自分の好きなことばかりやっているのも、私の人生だからと思っていた。
だから私は、自分の意思で人生をちゃんと決めてるんだと思ってた。
でも、違ったの。
私は1人で生きていない。人と関わって生きている。
やっぱりどこか、他人に影響されている。他人と比べてる。何かの基準を他人がどうだからで決めている。
そういう他人基準であることにどこかしら嫌悪感を抱いている。私の選択は真に自分が望んだ選択なのか、今だけの誰かに影響された選択なのか。本当の自分が言葉だけじゃないか。これもまた嘘になってしまうのか。
そういう自分に向き合いたくないから、ただ自分が他の人と違うことをしていることに納得して、ただただがむしゃらに逃げていたのかもしれない。
よくよく考えてみると、何か新しいことをしよう。っていうのも、私の過去の他人との間の中でたくさんの経験があったから。今までの環境や、いろんな経験があったからそう思うのだと思う。
今までの経験もよくよく考えれば、他人と比べたから。私の基準は常に自分じゃなく、他人がいるからこそ、自分がこうありたいと思うの。
だから、他人のことを気にして生きてるわけじゃないと思ってた。だけど気がついたの。他人のことも自分のことも、私は両方気にして生きてるの。
いい嘘と悪い嘘を見分けるのは誰にもできない
嘘は私を苦しめる。嘘から生まれる罪悪感や喪失感は私を苦しめる。
だけど、私が咄嗟についた嘘が時に私を助けてくれる。そして、他人に優しさを与えることだってある。
例えば、人の心を傷つける嘘と、本当のことは相手には知らせないでおく嘘とがある。 わざとついたり、人をおとしめるような嘘は、人の心を傷つける悪い嘘だと思う。 本当のことは伝えないで、嘘をつくのは、相手が傷つかないようにするためにつく、優しさからの嘘だってある。
だから、「何があっても、絶対にウソをつくな」と言っているわけではない。「ウソも方便」という場面だって絶対ある。
谷川 俊太郎さんが以前言ってた。
「うそをつくきもちはほんとうなんだ」
彼は、嘘と本当を黒と白みたいに、正反対なものとしてとらえるのは単純すぎるって言ってた。嘘をついているその時の自分の感情は真実であって、その言葉を断片的にみることは極論。嘘だと思っているかもれないけど、その嘘だと思っていることは人生の中で本当に一部なのかもしれないし、逆に相手にとってとても大きなことかもしれない。だけど、その嘘をついた言葉だけをみると全てのストーリーの中のピースの一部なのは変わらない。
本題をひっくり返してしまうようだけど、全ては嘘じゃないかもしれないし、嘘かもしれない。白黒の中にたくさんグレーもあるってことなの。だから嘘をつくということは悪いこともあるのかもしれないし、いいことなのかもししれない。
正直、いい嘘と悪い嘘を見分けるのは誰にもできない。
自分の心だけには嘘をつかないように生きたい
最近の風潮で、「自分らしく生きよう!」「自分の人生に嘘をつかないように生きよう!って言葉をよく聞く。それはもちろん素晴らしい生き方だと思うけど。でも、勘違いしてはいけない。それはすべてにわがままに生きようってことじゃない。自由に生きよう!そして自分の行動にしっかり責任を持ってね!ということだと思う。
子供の時は、「あの子がつけているから私も選んでみた。」とか「あのモデルが着てるのすごく可愛っかったから私も着てみたい」って思っていた。
選ぶ基準は、他人が素敵だと言っていたから。それは他人の人生を見ているように見えるかもしれない。だけど、私はそれはそれでいいと思う。だって私が素敵だって思った感情はほんものなのだから。
もちろん、今の時代は、自分に似合うからって理由で物を買うことがかっこいいとされている世の中だけど、彼氏が可愛いと言ってくれるから着てもいいじゃない。だって私がそれがいいと思っているから
「自分の感情に対するウソ」さえはつかなければ、いい。
それは毎日同じ価値観で生きないといけないということじゃない。ただ、昨日と今日の言ってることが違ってもいい。昨日言っていたことに、今日間違っていたと気がついたなら、「ごめんなさい。さっき気がついたんですけど」って話始めればいい。
嘘はついてしまうもの。現実逃避したい時期だってあるよ。家族にみえを貼りたい時期だってある。
ただ、なんだか具体的にはわからないものから、逃げようと、現実をやり過ごそうとするものへ淡々と嘘をつき、ストレスをため込みながら、本心に逆らって生きることに慣れてはいけない。
自分の本音がどこにあるかすらわからなくなる前に、やりたいことをやって、言いたいことを言おう。これだけは忘れない。
でも、
人生には時には嘘が必要な時だってある。
嘘が私を成長させてくれる時だってある。
ただ、自分の心だけには嘘をつかないように生きたい。
P.S.
最後まで読んでくれてありがとうございました。感情で書いてしまった部分が多いのですが、私のような人はすくなくてもいるのではないのでしょうか。そんな人のことをいろんな人にもっと知ってほしい。そんな思いで書きました。この記事を読んだ人に少しでも救われる人がいますように。読んだ感想をコメントで聞けると嬉しいです。
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