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数学は整理整頓

私は子供の頃から数字が苦手だった。そしてそれは、そっくりそのまま、我が子に引き継がれてしまっているようだ。

この春休みから、塾に通っている娘。
今まで、自由気ままに過ごしてきたが、塾の復習や宿題をしなければいけない状況になった。ずっと放置していたら何にも手を付けなかった娘も、やっとやっと、家でも勉強するということを始めた。

そしてずっとずっと、逃げてきた数学と直面することになった。

本人の自主性に任せたいと思っている私は、「なるべく自分でやれることをやりなさい」というスタンスを取っていたが、彼女の現実を知って愕然とした。「自主性に任せる」とは、ある程度、本人があるレベルまで出来ていないと、任せる側のただの無責任になるということを、保護者としては学習した。あるレベルに到達するまで、私は伴走してコーチしないといけない。

彼女が問題と向き合う中で、何に躓き、どんな問題点があるのかを観察しないといけない。

プリントが濡れている。
彼女を見ると泣いていた。「数学嫌い。塾行きたくない。嫌だ。」

子どもの自主性を尊重するのなら、「そうか、そうか、数学嫌いなんだね。塾行きたくないんだね。分かった、分かった。じゃあ、塾やめるように電話しておくね。」ということになるのかもしれない。
だけど、なんか、私の中では違和感がある。
行きたくない原因は、勉強が分からない、先生の言っていることが理解できない、ということ。ならば、今、どこで躓いているのかを確認して、クリアにして、先生の言っていることを少しでも理解できるように、彼女に翻訳(笑)してあげること。

よくよく観察していると、彼女のミスの原因は、式をつなげていく際の確認不足だった。次の式に移行するとき、ちゃんと、これはここに書いた、これはここに書いた、ここはマイナスがついているから、かっこを外すとプラスになるね、とか、その小さな連続の中での些細なミス。

小さなところにごちゃごちゃ書いていたらミスにつながるから、この広いスペースで、ゆっくり考えてみて。まずは自分のペースで理解して納得することが一番大事。

彼女なりのペースで、彼女自身が腹落ちし、納得して、一歩一歩進んでいく。それが見えてきたら、少し距離を置いて、見守る。
そしたら、「あ、分かった」って彼女が目を輝かせ、だんだん自主的に取り組んでいくようになっていく。

リビングに置いていた電子ドラムを手放した。
部屋が広くなって、リビングで彼女が勉強するスペースがゆったり確保できるようになった。

彼女が私に「教えて教えて」と自分から言ってくる。

私自身の整理整頓、部屋の整理整頓、思考の整理整頓、子どもの心の整理整頓。

数学が苦手だった私が、彼女に数学を教えながら、数学以外のいろんなことを学んでいる。人生はいつまでも学びだなと改めて思う。

昨日、行きたくないと言っていた塾に駅まで一緒に歩いて送ってあげるから、ということだったが、乗らなければいけない電車の時間ギリギリになっていた。私は体力尽きて、諦めて、ゆっくり歩きながら、彼女を後ろから見送っていた。
「電車に乗れたよ~」とウキウキな様子のラインメッセージが届いた。

「行きたくない」と泣いていたのに。
人間は成長したいと思っている。少しでも広い世界を知りたいと思っている。彼女のそんな思いを、つぶさず、育てられる親でいられるといいなと思った。

一杯いろんなことを教えてくれてありがとう。
これからも様々なぶつかり合いを繰り返しながら、お互い世界を広げる仲間として、よろしくお願いします。可愛い可愛い娘へ。

追伸
数学が苦手で、数字が大嫌いな私が、数字と格闘して子どもに数学を教えている。その理由はひとえに子どもが好きだから。子どもが自立して輝いてほしいから。子どもへの思いは、不可能を可能に変えていく、なんとか克服しようとする原動力になる。ありがとう。いろんなことを教えてくれて。これからも、あなたが自立していくお手伝いをし続けたい。そう思えるあなたがいることが幸せです。(でも、寄りかかり過ぎないように気を付けるね:笑)

#最近の学び

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