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ボタニカル哲学(217)中途半端な才人の不幸

悟りに達した人は、胸中にあれこれ思いわずらうことは何もない。また、愚かな者は最初から知識や智慧などにとらわれていない。なんのこだわりのない人たちとは、一緒に学問を論ずることもでき、また一緒に協力して事業を興すこともできる。
一方、中途半端な人は、やたらに考えるくせに素直に考えられないで猜疑心に囚われるので、面倒を見るのは難しい。

つまり、中途半端な人間は使い辛いですよという活人に対する警鐘なのだろう。基本的には中庸を善しつつ、ここでは中庸を否定しているようだ。確かに、現実の社会では十分に理解は出来るが、それでは愚公の追認のようにも思える。

言い換えれば、この章は活人に対する諭しではなく、「考えさせる」意味で加えられたものかもしれない。

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