理解と共有と保存

人の気持ちとか、考えていることとか、一緒に一つの議題について話していてその場を共有していてもどう感じてどう考えていて今後どんなふうにその人が変化するのか分からない。
分からないことが当たり前かもしれないけれど、それを理解したいと強く思う瞬間が時たまあります。

きっとそれは相手も同じだろう。
そして、その瞬間の感情をなんらかの方法で共有できたら、どれだけ感動的だろうかとよく思います。

例えば、大切な人が悲しんでいる時。
大切な人が悲しんでいたら、そりゃあ私も悲しい。でもその「私の悲しさ」ってやつは、大切な人の悲しさとは共鳴していないじゃないかと思うのです。もしも、その瞬間、その悲しさを私も"感情"として共有できたならば、悲しさと一緒に、やっとあなたの感情を理解できたよという嬉しさも混じるんだろうなと。

ついでと言ってはなんだけど、そういったその瞬間の感情とやらを保存して、反芻することができたならばどれだけ人間は楽に生きられるだろうかとも思います。


君と別れたあの瞬間とか
大切なものを眺めている時間とか
学生の頃、夕焼けの中、自転車で河川敷を走ったあの日とか
大好きでずっと一緒に育った愛猫が亡くなった時のこととか
何でもないことで祖父に怒られたあの頃とか
言葉にならない感情に押しつぶされそうになりながら一人小さな音でギターを弾いたあの時間とか

あれらの感情を保存できたらなと、
よくよく思います。


でもそんな便利なものは2019年11月15日はまだ開発されてなくて、この先はどうなるか分からないけれど、

きっとそんなものが無くても思い出して
心があたたかくなるのを感じて
人の心にも手を当てて何かを感じれるような人間になれたらと考えたりして、今日も一生懸命行きたいなあと思う、そんな日でした。

楽に生きたいとか、他人を完全に理解したいとかそういうことじゃなくて

私は人間って生き物が好きなんだろうなあ
私は人間として、他人という人間と自分という人間をただ、分かりたい。
そういうことです。


おわり

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