みぎひざ
有難いことにたくさんスキを頂けた文章たち。理由はよくわかっていない。
ネタも何もないときにぼんやりと自分のこと書いてたら「#」←タイトルにこれ付けて日記ってことにしてます。どちらかと言うと面白くない方の文章。
高校時代の失敗とか失敗とか失敗とか書きます。 汗と涙とあまり伸び代なかった成長の話。
みなさん、はじめまして。少しばかり顔馴染み?アイコン馴染み?になってきた人も、一旦はじめまして。みぎひざと申します。 思い返して約3年前、50本目の話として自己紹介を書きました。数えてみたら前回が150本目の話らしく、適当に始めてしまったnoteも随分と続いてしまったなと。数字にしたら少し遠くまで来た気がします。 なので、3年前と異なる部分も出てきたのではないかと、今一度自己紹介を行ってみることにしました。151本目、お付き合いください。 昔の文章に手を加えて、よ
「出張で札幌に行くことが決まったんです」 そう語ったのは年下の友人だった。出自は全く異なるがお互いが野球部の出身であるため、共通の友人たちに囲まれた際でも彼は私に対してどことなく後輩のような顔つきになる。こちらは歳の差なんて気にしていないのだが、これはもう育ってきた環境の性質だ。 私だって逆の立場であれば母校と関係なくとも、年上の野球人に対しては一定の敬意と礼節が反射で顔を出す。従って彼の敬語も抜ける筈がないというのは致し方ないことであろう。 もっとも、令和を生きる球
直近の話、だらりと。 もっと書いてよ、なんてありがたいこと言ってくれる友人が居たりもするのだが、まぁ如何せん筆不精。いやキーボード不精。 書きかけの話は溜まるのに、どれもこれも着地点が見えない。夏、折り返し。 ここのところずっと札幌の友人にマウントを取られ続けている。主に温度面で。30℃超えない程度の気温って羨ましい。こちとら盆前までずっと気温がアラフォーだったってのに、いい気なものだ。まぁ、半年後には立場が逆転しているので別にいいのだが。 いつの間にか立秋が過
8月6日は広島にとって大事な日で。 8月6日は世界が忘れてはいけない日で。 亡くなった婆ちゃん、いつだったか病床に伏せるまで、8月6日は毎年早朝から出ていって平和記念式典に参加していた。付いて行こうとすると「暑いけぇアンタは家におりんさい」って一言。 あれは孫の私にも邪魔されたくない時間だったのかもしれない。当事者にしかわからない思いや祈りに心を寄せる日だったのかもしれない。あの日のことを考えるのに一人になりたかったのかもしれない。私とは関係ないことと世代間に線引
早くに起きて、車を借りた。空が青くて高い。日に日に風が熱を帯びて、季節が変わっていくのを感じる。 梅雨前と、夏の盛りの空気が好きだ。じりじりと焼けていく肌、体中の水分が無理矢理外に出されていくような感覚。いつかの自分を思い出せるような温度を、今でも少しだけ愛してしまっている。 窓を開けたまま走り出して、車内の空気を入れ替えた。昔の自分とはずいぶん変わったなって、頭をよぎった懐かしさも、ついでに窓から放った。 予定があるというのは悪くない。なんとなく、それが終わるまで
毎年変わらず、大切な日が続く。 日記というか、記念日というか。noteの使い方としてはちょっと微妙なところではあるけれども、年が経つごとに状況が変わっていく様を思い出せるのは悪くない。自己満足みたいなページだし、まぁそこはどうでも良いか。こういう誰に伝わるでもないような事柄については書くのをやめてもいいかな??とか思うこともあるけど。 今年は会う機会に恵まれていない(と言うかそもそも無い)ために、どことなく遠い感じがする。まぁそれも致し方無し。胸を張って出ていくには
去年の6/9も雨だった。誕生日おめでとう。 過去を思い出して。かもしれない、の未来を思う。今があるのはあなたの居た日々の賜物。それはずっと変わらない。 一年、積み重ねるごとに遠くなるあの頃を慈しむような気持ちで、今日を過ごす。 また、いつか。
ハイ、小論文って言葉に掛けたかっただけで。 論じてはいても論文ではない。#1って付けてみたけど#2があるかもわからない。何も予定が立っていない。本日もパソコンの前、一人遊び。ちょっとお笑いの話がしたい。 お笑い好きとしては相当ライトな部類で、地上波やYouTubeなどをたまに見る程度の私だが、気持ちをちょっとだけ大きくして感想文を書く。毎度動き出しは遅い。 もう何日も頭の中で今更~~って声が聞こえる。 表題に戻る。THE SECONDを観た。しっかり笑ってちょっと
うっすらと眠い、ぼんやりとした勤務時間の終わり。帰宅したらすぐにでも寝てしまいたい。そんな月曜日の夕方。 思い起こせば何かを忘れるようにギリギリまで遊んだ日曜日、はみ出した二時間の月曜日を酒と一緒に飲み込んでからのこれだ。頭の中に靄がかかるのも致し方ないというものだろう。 しかしながら帰路に就けば不思議と足取りが軽くなる。帰りの電車での時間は、行きの電車でのテンション感を逆再生しているようで、最寄り駅に着くころには眠気のことなどすっかり忘れていた。晩御飯は何を食べよう
経年劣化だと認識してしまえばいいのだろうか。ここ数年、情熱がくたびれていくような感覚がある。そして、それを受け入れている自分がいる。 変わっていくことを受け入れなければどうしようもないし、そもそも抗うことでもないようにすら思えてくる。単なる意気阻喪であることを、泰然自若の精神だと言い換えることで、今の自分にとって耳障りが良いものにしている。そんなこの頃。 そんな中、1年と10ヶ月ぶりに推しの単独ライブが行われるというので、すぐに参加することを決めた。大げさかもしれない
生まれ育った町に戻ってきて10年程が経つ。 幼稚園に通っていた頃から小学校を卒業するまで住んでいた町なので、合計で20年程ここで過ごしていることになる。その間に景観も随分変わった。ここで出会った人、ここを去った人、ここに来た人、様々を知っている。 近年は長い夜を過ごすにも随分と都合のいい町に変化してきたように思う。自分が夜の過ごし方を知らなかっただけなのかもしれないが。 今年は特に一杯の癒しを求めて、新しい店を開拓しているのだが、最近少々入り浸ってしまっている居酒屋
真冬のピークが去った。天気予報士がテレビで言っているかは知らない。なぜなら我が家のテレビは先々月に息を引き取った。10年以上は使われていたはずなので大往生だろう。葬儀(家電リサイクル法に基づく店舗への持ち込みとも言う)は身内のみで執り行われる予定だ。 実家で余っているテレビを貰い受ける予定ではあるが、明らかに部屋のサイズに合わないほど大きく、若干の躊躇を振り払えないまま2月が過ぎ去った。 §§§ 久しぶりに友人と銭湯へ行った。物価高の影響がこんなところにも出ているよ
下書きだけ一丁前に溜め込んで、結果いつもと変わらない2月が終わった。閏年だからって特別なことは起こらない。息を吸って吐いて、自分から目を逸らしてたら簡単にひと月消える。それでいいか、でいつも片付いてしまう。 今日は湿っぽい朝だった。小雨の粒が目に入るのが嫌で俯いて歩いていたけれど、少し考えたら晴れの日でも大して目線は変わってないと気付いてしまった。通勤路はまだ肌寒くて、少し暗くて、一層気が滅入る。 途端。右を通り抜けた自転車の後ろの方。小さめのボリュームで聞こえてい
光陰は百代の過客だとはよく言ったものだが、月日の中に存在として内包される人間の生き死にや感情や記憶こそが過客なのではないかと、ふと思ってしまうことがある。 仮に、時間自体を“始まりから終わりに進むもの”という一元的な捉え方ができるとする。そうすると一人の人生一回分も“始まりから終わりに進むもの”として時間に準拠する存在であることから、私やあなたという個体が生まれた瞬間、その存在は一元的であったと考えて良いのではないかと思うのだ。 しかし、人間は集団で社会を形成しているた
去年より年間目標というものを決めた。私自身は極めて怠惰であると自己を評しているため、友人達と共通の目標を立てることで、自分を奮い立たせている。そして周りを巻き込むという形を取ることで、若干の競争意識が生まれる。背中を押されるが如く目標達成へ能動的に向き合えるのだ。 しかしながら年始から話は二転三転、少々人数も増えたために取り纏めが難しい部分もあるが、正直そこが面白い。 今年は協議の結果、人生ビンゴを行うことに。 クリエイターの方には頭が下がります。上記より素材をお
今となってはあまり信じてもらえない話だが、所謂病弱な少年時代だった。様々な疾患に罹り、ついでに怪我や故障も多かった。ほとほと自分に嫌気がさしたので、せめてフィジカル面を鍛えようと中学の半ばから高校の間はしっかりと運動して基礎を作った。その後長期間に亘る栄養過多で出来上がったのが今の体躯である。土地を整備すればある程度立派な物が建てられるという類の話で、重課金ボディーと言っても差し支えない。 仕上がっているこの身体の外骨格をハードウェアとするならば、それをスムーズに動かく