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瀬戸内海の風に抱かれる。

 早くに起きて、車を借りた。空が青くて高い。日に日に風が熱を帯びて、季節が変わっていくのを感じる。
 梅雨前と、夏の盛りの空気が好きだ。じりじりと焼けていく肌、体中の水分が無理矢理外に出されていくような感覚。いつかの自分を思い出せるような温度を、今でも少しだけ愛してしまっている。
 窓を開けたまま走り出して、車内の空気を入れ替えた。昔の自分とはずいぶん変わったなって、頭をよぎった懐かしさも、ついでに窓から放った。


 予定があるというのは悪くない。なんとなく、それが終わるまで生きていていいのだという安心感がある気がする。コツコツとした小さな肯定の積み重ねで人生が先に延びていく。少なくとも、私の場合はだけど。


 誘われて、そのまま内容も委ねてしまったので、東へ向かうことになった。自分の知らない方へ転がっていく時間というのは少し面白く、いつも何かを決めている私には新鮮で良い。辿り着くまでのルートはハンドルキーパーの私が決めるのだが、ここは物の序でだ、通ったこともない道で行ってしまおう。行き先が海の方だったので、山を越えるルートを選んだ。
 エアコンの風と、陽の光、もらったお茶が少し汗をかいている。


 1時間と20分。I'm at Ondo。
 5 COFFEE MARKETという店をゴールに、とりあえずやって来た。

快晴。


 テラス席は開放感があって素敵だったが、目先の暑さに耐えられそうになかったので、店内から海を眺めていた。エアコン最高。
 キーマカレーとアイスコーヒーを頂きながら、全く空白なこの後の予定を話す。時間は12時に近付いていた。意味もなく、何となく目線を外に向けがちになってしまう。三ツ子島に積まれた塩の山に陽の光が当たる。少し眩しかった。



 店のレジカウンターの下の方には今を時めく女優、浜辺美波嬢のサインもあった。なんでこんな辺鄙(失礼)なところに……??
 もし気になるようであれば、サインと、どんな景色が広がるかぜひ見に行ってほしい。正直に言うと景色の写真を撮り忘れただけなんだけど。


 第二音戸大橋を戻る際、ひまねきテラスという展望デッキに寄った。男の心を少しそそる仰々しいほどの茶色の塊は、製鉄所跡だったっけか。

続・快晴。


 どうせ出てきたなら日中は行けるところまで行けばいい、と。次は安芸灘大橋を渡った。ひまねきテラスから約40分。I'm at Shimokamagari。


 長いこと広島県民だが、下蒲刈島には初めて来た。小さな島に美術館と庭園、資料館が密集している。聞くに、江戸時代から海上交通の要所だったらしく、歴史と文化のある島なのだと。
 知らない場所に出向いてその土地の人に話に耳を傾けると、まだまだ自分は何も知らないのだと痛感する。三十超えても無知蒙昧。


 折角来たので勉強がてらに、松濤園、蘭島閣美術館、白雪楼と色々回ってみた。誰もいない平日。知性を刺激される穏やかな時間というのは、少し贅沢だと感じた。

案外と涼しく、いい眺め。


 意外なほどボリュームのある島の隅々に、思ったよりもじっくりと見入ってしまったので、少し歩いてから帰路に就くことにした。石畳の白と海の碧がキラキラしている。なんかずっと海と太陽の反射しか見てないような気がしてきた。

続々・快晴。


 海が澄んでいた。風が心地よかった。そこにある当たり前に、しっかりと向き合える穏やかな時間が魅力的な町だと感じた。誰もいない平日だったのと、田舎は割と当て嵌まるのはここだけの話。

黒猫・立。


 帰り道。の、直前。駐車場の近く。
 島猫とでも呼べばいいのか、ちょっと人慣れした可愛いやつらがちらほらと居た。なんだか目が離せなかったので、10分くらい滞在が延びてしまった。

黒猫・寝。


 私の中の猫ゲージに眼の保養ポイントが貯まり、少し生き返った。


 しかし、所詮生き返ったのは精神的な方で、いい大人が朝から日光の下で遊ぶのは無謀だった。
 体力はしっかりと無くなったので、帰りは高速道路を使い、行きの半分くらいの時間で家まで戻った。これもまた大人のやり方であろう。


§§§


 少し温めた下書きを形にしたら、梅雨入りを迎えてしまった。体に纏わりつく湿度がいやらしくて、呉の海風を思い出す。
 もう少し涼しくなったら、また行ってみたいと思った。

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