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落陽の翌日。

 8月6日は広島にとって大事な日で。
 8月6日は世界が忘れてはいけない日で。

 亡くなった婆ちゃん、いつだったか病床に伏せるまで、8月6日は毎年早朝から出ていって平和記念式典に参加していた。付いて行こうとすると「暑いけぇアンタは家におりんさい」って一言。

 あれは孫の私にも邪魔されたくない時間だったのかもしれない。当事者にしかわからない思いや祈りに心を寄せる日だったのかもしれない。あの日のことを考えるのに一人になりたかったのかもしれない。私とは関係ないことと世代間に線引きをしたかったのかもしれない。
 かもしれない、推測ばかり。今となっては知る術もない。ないからこそ考えてしまう。嗚呼、多くを語らない人だった。

 被爆した当事者と戦後に産まれた我々では埋められない差がある。思いは受け継いでも経験は受け継げない。「戦争なんかしちゃいけん」って耳の奥に残る言葉も、代わりに私が言ったところで言葉以外の重みは宿らなくて。

 去年は物思いに耽ったまま、書きかけのnoteを消した。

 昔から夜更かしの日々を重ねている私は、8月6日を迎えるまでの数日が憂鬱だったりする。あの日何があったか、人の記憶は、瞬間の記録は、そんな番組が深夜までTVショウの番組欄を埋めていく。わかっている。見なくてもいいのに、それでも目が離せないのは、血か。

 知らない人の知らない話。それでも、自分が生まれ育った土地の、いつかの昔話。
 あんなことなければよかったのに。が、引き金になったバタフライ効果で生まれた命かもしれないのに。あなたも、私も。ここで生きているなら、否定されるべき歴史の上に立たされているかもしれないのに。

 平和記念公園では、もう静かに悼むだけの日ではなくなってしまったのだろうか。今の8月6日を婆ちゃんが見たら嘆くだろうか。招かれざる客のニュースは火に群がる虫を思い起こさせる。9日と15日はもっと静かであってくれ。

 あの日は太陽が落ちてきたようだった。と、いつしか聞いた。
 火も消えて、真夏の熱が少し引いていくような8月7日は、今でも少し苦手だ。

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