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今日はきっと、花が舞う。

 生まれ育った町に戻ってきて10年程が経つ。
 幼稚園に通っていた頃から小学校を卒業するまで住んでいた町なので、合計で20年程ここで過ごしていることになる。その間に景観も随分変わった。ここで出会った人、ここを去った人、ここに来た人、様々を知っている。
 近年は長い夜を過ごすにも随分と都合のいい町に変化してきたように思う。自分が夜の過ごし方を知らなかっただけなのかもしれないが。


 今年は特に一杯の癒しを求めて、新しい店を開拓しているのだが、最近少々入り浸ってしまっている居酒屋がある。足繫く通っている自覚はあるのだが、常連かと言われるとどうだろう。もし常連とカウントされていると少しだけ嬉しい気もするけれど、そこに基準はあるのだろうか。
 仕事から帰宅し、一息。今日の一杯をと思い立ち、着替えて店に向かう途中、通り過ぎる道のひとつひとつに、昔過ごした思い出が詰まっているのを感じてしまう瞬間がある。
 いつかの昔、一緒に生きていた人のこと。


 亡くなった人を誰かが思い出す時、天国のような遠い場所でその人の周りに花が降るのだという。
 盂蘭盆会における供養の話が転じていたり、はたまた説法みたいなものだろうか。もしかしたら創作なのかもしれない。本を正せば古今東西全ての話は創作か。
 調べても元になる話までは辿りつかず、誰が言い出したかもわからないようなその話を、私は好んで信じている。自分が好きだった人たちのところに花が降ってくるなんて、なんと言うか、素敵じゃないか。


 元号が令和に変わる少し前、ばあちゃんが亡くなった。両親が共働きだった私にとって、子供の頃は半分育ての親みたいな部分もあり、大切な人だった。
 ばあちゃんの話を少し前に書いたことがある。読んでもらえたら嬉しい。しかし読まなくともこのあとの話に支障はない。

 そんなばあちゃんと幼少期を過ごした町、そして最後を看取った町で、今も暮らしているのだ。
 さっきも書いたが、何でもないその辺の道ですら不意にいろんなことを思い出す。もしかしたらばあちゃんが今居るところでは度々花が降っているかもしれない。そんなことを思いながら歩き、思い出を肴にできる一杯を探しに行くこともあるのだ。


 その日も一人で飲んでいた。未だ常連になれているかはわからないが、近頃はお店の人と話す機会も増えてきた。昔、この町に住んでいた頃の話をしていたら、数席離れたところで静かにビールを嗜んでいたご婦人に声を掛けられた。
 私が昔住んでいた家の近くに今もお住まいで、息子さんが私より3歳ほど上なのだという。で、あるならば同じ小学校には通っているはずだし、町内の祭やイベントでご一緒したこともあるかもしれませんね。などと談笑を始めた。


「お兄さん、町内のどのあたりに住んでたの?」

「神社の入り口がある道の、昔定食屋だった建物の二軒隣に住んでました、今は二軒が一軒になって焼肉屋になってますが」

「あー、場所わかるよ」

「定食屋も、向かいの工業機械の問屋も、その隣の珈琲屋も、全部なくなって寂しい限りです」

「嫁いでからもうここに40年くらい住んでるし、それらは全部覚えてるんだけどねぇ、焼肉屋の前の建物は覚えてないなぁ、そこに住んでたんでしょう?」

「そうです、自分が3歳の頃に越してくるまでは祖母が店を営んでました、その名残で家の前には当分自販機が設置されたままで、あ、自販機写ってる画像ありますよ、少々判りづらいですが」


 と、カメラロールを探し、画像を差し出した。

 画像を見てご婦人は言う。


「私この人知ってるよ、パン屋のおばちゃんだね、懐かしい」

「祖母をご存じだったんですね、そうかそうか……」


 言葉が続かず、目の前のグラスがぼやけた気がした。
 少し酔ったのかもしれない。


「家族がいるもんだから、毎日のように食パン買いに行っててね、感じの良い人だったねぇ」

「あの場所がパン屋だったこと、家族以外で覚えてくれている人に初めて会ったかもしれません」


 返事した言葉は、上手く返せていただろうか。記憶が蘇ってくる所為か、目の前がチカチカしている。
 祖母は昔々の大昔、30年以上も前、この町でパン屋を営んでいたのだ。パン屋と言ってもヤマザキのパンを店舗販売しており、今となってはもう見かけないタイプの、しかし当時ではなかなかコンビニエンスなお店だった。
 幼稚園に入る前後の話なので次男は産まれたばかり、三男と長女に至ってはまだ存在すらしていない頃。兄弟の中では自分だけしか知らない、家族の大切な思い出だ。
 少し物覚えが良い方みたいで、今でも店舗のレイアウトを覚えているし、私の好きないちごジャムパンを用意してくれていたことも覚えている、自販機のことも、店を畳むと決まったときのことも、改築中に大工のおじさんにトイレまで運ばれたことも、リフォームした家に我々一家が住み始めたことも、それからのことも、いっぱい、いっぱい。
 耳が熱いような気がする、視界はさらに歪む、悟られないように。


「パン屋のおばさん、今はどうされているのかしら?」

「6年程前に亡くなりました」

「そっか……」

「だからこそ自分には貴重な話です、なにぶん孫に甘い祖母の顔しか知らないもので、本当にありがとうございます」


 お礼をして、乾杯をした。
 たまにここで飲んでいるから、また飲みましょう、とご婦人は去っていった。きっとすぐにまた会えるはず。
 帰り際、昔住んでいた家の、その店舗だった場所の前を通って帰った。
 家族と、親戚と、昔からの友人しか、もうばあちゃんのこと知ってる人なんていないと思っていたから、言いようのない感情に包まれてしまった。


 生きてた。

 人が、忘れられた時に本当に死ぬって言うんなら。
 ばあちゃん、生きてるな。生きてるよ。

 まだまだ当分大丈夫だよ、この町にもまだ思い出あったよ。


 そろそろ冬が終わる、小さい春はもうすぐそこまで来てる。
 この町に居たら、またばあちゃんに会える気がするんだわ。


 あの乾杯の瞬間、降った花はいつもの倍だったと、今日も心から信じている。


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