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【親子関係 : 脳の記憶の癖を知る】「ママはあなたを叱ったけど、ママはあなたのことが大好きだよ」と伝え続けたい

今朝、6歳の息子が夫から叱られました。

自分が悪いことをしてしまったとわかりながらも、おとーちゃん(息子は夫の事をこう呼んでいます)に「ごめんなさい」がなかなか言えなくて、もじもじしている息子。

しまいには

「今日学童行きたくない」

と言い出して。

みるみるうちにテンションが下がっていきました。

私は、仕事の時間が差し迫る中、だましだまし機嫌を取りながら、無理やり学童に行ってもらうこともできたのですが、何かとても大切な事が息子の心の中で起こっているように感じた私は、焦る気持ちもありながらも、息子を抱っこして、今の気持ちを聞いていきました。


おとーちゃんから叱られた=おとーちゃんは僕の事が嫌い

色々話を聞いていく中で、私はピンと来てこう聞いていました。

「おとーちゃんに叱られて、おとーちゃんがこうちゃん(息子のこと)の事嫌いになったと思ったの?」

と。

すると、コクリを頷く息子。目には涙が・・・。

叱られたのは、本当に些細な事で、大人からするとそんな些細な事であなたを嫌いになるわけないでしょ、ってくらいのことなんだけど。

息子からしたら、叱られただけで、おとーちゃんから嫌われるって受け取ってたんですよ。

「もしかして、ママがこうちゃんを叱ったら、ママから嫌われたって思っちゃうの?」

と聞くと、またコクリと頷く息子。

まだ人間歴6年の息子からすると、

叱られる=嫌われる

と同じ。

そうだ、そうなんだ。息子の世界の中では、

叱られたけど、おとーちゃんは僕の事が大好き。

叱られたけど、ママは僕の事が大好き。

という方程式はまだ存在していなかったのです。

親子関係での痛みがある時に起きていること

今では、父からも母からもたくさんの愛情を受けて育ったのだと思えるようになった私。

虐待を受けたわけでも、ネグレクトを受けたわけでもなく。

生活に困ることもなく、習い事もさせてもらったし、行きたい学校にも行かせてもらったし、なんだかんだありながらも、たくさんのサポートをしてもらったなぁと今では両親に感謝の気持ちを持てるようになりました。

ですが、そんな私も、幼少期の家庭環境による「根深い痛み」がありました。

主に両親の喧嘩が原因。

私の幼少期の記憶の中では、両親はいつも喧嘩していました。

両親が喧嘩している=私が悪い

両親が喧嘩している=2人は愛し合っていない。

私は愛し合っていない2人から生まれた=私は愛されていない。

こういう方程式でしか両親の喧嘩を理解できなかった小さい頃の私。

今となれば、

両親が喧嘩をしているからといって私が悪いわけではないことはわかるし、

両親が喧嘩をしていたからといって2人が愛し合っていなかったわけではないことはわかるし、

仮に2人が愛し合っていなかったからといって、私が愛されていないわけではないということもわかっています。

そう、脳の記憶の仕組みとして、子どもの時の方程式で保存された記憶は、大人になってもそのままの記憶の形で保存されるという仕組みがあるのです。

さらに、「いつも喧嘩していた」も大きな間違いで。

喧嘩していない時間の方が多かったけれども、喧嘩している時の衝撃があまりに大きすぎて、そちらの記憶ばかりが強化されてしまっていたのです。

脳の記憶の仕組み的にも、ネガティブな出来事は記憶として残りやすいと言われています。

まさに、私の中で両親の喧嘩というネガティブな記憶は、超巨大拡声器なみに大音量で私の長期記憶の倉庫の中で鳴り響き続けていました。

昔から恋愛関係に苦労していた私が、何故、身近な関係性の人と一緒に居る時に自分の感情を制御できなくなるのか、自分が自分じゃないような感覚になるのかに向き合い続けてきた結果、「幼少期の両親の喧嘩の痛み」が根っこにあることがわかりました。

それに気がついた時の事を書いた記事はこちら⇓(参考まで)


そして、その記憶は

①子どもの頃の方程式のまま記憶は保存されている
②ネガティブな出来事が記憶に残りやすい

という、人間の脳が持つ記憶に関する2つの特徴によって、大人になってからも私の潜在意識に影響を与え続けていたのだと気づきました。

ここについては、ヒプノセラピー、ゲシュタルト療法、NLP等、様々な手法を通じて向き合ってきました。

両親は喧嘩をすることもあったけど、仲良くしていることもあった。

両親は喧嘩をすることもあったけど、私の事は愛してくれていた。

両親は喧嘩をすることもあったけど、それでも今でも一緒にいるのだから、魂レベルではお互い何かを学ぶ必要があって出会っているし、一緒にいることでお互いの魂を磨き合っているのかもしれない。

という捉え方に変えていくことができました。

この部分の癒しには時間はかかりましたたが、今ではかなり楽になりました。

受け取るのは子どもであって、親がどうこうできることではない

上記の両親の喧嘩の事でいうと。

おそらく、同じ家庭環境に育っても、両親の喧嘩をなんとも思わずに、すくすく育つ子どももいるのかもしれないです。

実は、傍から見ると、よくある痴話げんかのレベルかもしれないです。

でも、私にとっては、本当に怖かった。

・大きな声
・怒りのエネルギーがぶつかり合う感じ
・両親の怖い表情
・しばらく続く家庭内での冷たい空気感

こういうものが、本当に嫌で、怖くて、ブルブル震えていました。

私にとっては、怖かった。


一方で、それをなんとも思わない子もいるのかもしれない、です。

だから、私の話は、あくまで私から見てそうだった、小さい私がそう感じた、という話。

一般論にはできない話です。

受け取り手がどう感じるのか。

それによっては、トラウマになるかもしれないし、全く記憶にも残らない些細な出来事になるかもしれない。

それくらい、人の記憶というのは曖昧で、絶対的なものではなく、個人個人で違うもの。

なんですよね。

息子に伝えたいこと

既に6歳になった息子。

既に、0歳~6歳までの間に、息子なりの方程式で、記憶の保存がされてしまっているかもしれない。

ちょっとしたトラウマもあるかもしれないです。

これまでの育児の中で、

感情的に怒ってしまったこともたくさんあります。

イライラして怖い顔をしていたこともたくさんあります。

「遊んでー」と言われて「疲れてるから無理、嫌だ」と冷たく断ったこともたくさんあります。

それを息子がどう捉えたのかは私にはわかりません。

既に過去の事はどうしようもない。

でも、自分が両親との関係で痛みがあるからこそ、息子には私との関係でトラウマを作ってほしくない。

その願いも強く強くあります。

それでも、私も一人の人間。

いつも穏やかで優しい自分でいられるわけではなく。

そして、それをどう捉えているのかは、息子本人しかわからないのです。

だから、私は、過去を悔やみ続けるのではなく、今からできることにフォーカスしようと思っています。

「どんなにママが叱っても、ママはこうちゃんが大好きだよ。」

「こうちゃんのこういう所は良くないと思うけど、それでもこうちゃんが大好きということには変わらないよ。」

「何があっても、どんな時も、ママはこうちゃんが大好きだよ。」

「ママがイライラしていても、怖い顔をしていても、こうちゃんが大好きという気持ちは変わらないよ。」

それを、何度も何度も、口酸っぱく言い続けたいな、と。

「もういいよ、聞き飽きたよ」

って言われるくらい。


完璧には程遠いママだけれども、そんな、完璧じゃないありのままの自分でできる精一杯を伝えていきたい。

そう思っているそんな今です。

今日も読んでいただきありがとうございます^^


***

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