rico_maron1111

Note初心者です。のんびり気ままに、過去に書いたものや、思いついたものを投稿していけ…

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Note初心者です。のんびり気ままに、過去に書いたものや、思いついたものを投稿していけたらいいなあと思っています。 どこかの砂浜で、ガラス瓶が波に揺られて流れつくように、訪問した読者の方へ何か届けることができたら。そんな思いを抱えながら、文章を綴っていきたいです。

最近の記事

【つぶやきエッセイ】日々の葛藤を抱えながら、生きてゆく

 私は拒食症だ。食事を摂ることが恐ろしく感じられ、1日中頭は食事のことでいっぱい。体重増加を極端に嫌う。今回は、そんな私の思いについて、少し綴ってみようと思う。  この病になってから「恐い」「なんとなく不安」という気持ちになることが増えた。例えば、予定のない日や、暇な時間。何か予定が入っていると安心できるのだが、予定がない、ぽっかりと空いた時間に不安を感じる。  おくるみを脱がされた赤ん坊のように、ぽおんと投げ出されると、何をしたらよいのか、分からなくなってしまう。もちろ

    • 【つぶやきエッセイ】病気について思うこと、人生のひとさじ

       私は「神経性やせ症」——いわゆる拒食症――という病にかかって2年くらい経つ。  この病を治したいという思いはある。確かにあるものの、なかなか行動を実行に移すことができないのは、どうしてなのだろう。  あれは、2週間前のこと。友人と訪れたアジアンダイニングで、大きめのバインミーを口に頬張り、完食したときに「食べ過ぎた、ほらいけないのだ」という病気の強い声が、脳内にぴいんと響いた。 (実際にそういう『声』はしないのだが、声に似た『何か』が響いてくる、そういう感覚があるのだ)

      • 金子みすゞ『不思議』小さな手を掲げて

         最近、詩人の川口晴美さんが監修した『小さな詩の本』に読みふけっている。白い小鳥が紺青地の森を舞っているという美しい装丁がなされており、部屋に飾っては笑みが浮かぶ。海外から日本、明治期から現代まで、何十人もの詩人による詩がアソートされて収められているため、ペラペラとページをめくるたび、「今日はこの詩が当たった」と、おみくじのようなことも体験できる。今日の「お守りの詩」を得られて、子どものように嬉しくなる。  詩のテーマは、「愛」「嘆」「愉」「歌」と分かれているので、その日の

        • 『祈り』

          あざみ野で白蝶が ひとさじ歌うなかで わたしはみずうみと古い約束をした 透きとほる雨はわたしを閉じ込めたまま 胸に 粉雪のように光る地図がひとつ しずかに 降り積もっている

        【つぶやきエッセイ】日々の葛藤を抱えながら、生きてゆく

          初夏、気持ち重ねて

           食事の量や食べ方など、食事に関連した行動の異常が続き、体重や体型のとらえ方などを中心に、心と体の両方に影響が及ぶ病気をまとめて摂食障害と呼ぶ。食事量やカロリーを制限したり、体重増加への恐怖、強いやせ願望に、ボディイメージについて認知の歪みが生じたりする。(※1)  私は大学3年生の冬頃から摂食障害にかかり、現在までずっと治療をしている。一時期は、体重が27キロまで落ちてしまい、一度目の入院を経験した。そして、今年も体重が30キロを切ってしまい、再入院をすることになった。  

          初夏、気持ち重ねて

          入院前、静かな湖の底に旅行鞄

           窓を開けると、涼しげで、羽衣のような初夏の風が舞い込んでくる。  さわさわと揺れる木々の葉は、しずかに歌っている。  入院前日の午後は、やわらかさで満ちている――。  今年のゴールデンウィークは、病気の進行とともに、入院するか否か、非常に悩まされた。  去年は就職活動で頭と胸を悩まされていたけれど、今年は入院することに悩むことになるとは。  「よくもまあ、人生というものは分からないものだ」と驚かされる。  まるで、猫があくびをひとつするかのよう。  今日は、午前中

          入院前、静かな湖の底に旅行鞄

          初夏への移ろいに、思ったこと

           鈴がころんと鳴るように、青葉がやわらかに茂る5月。  祖父が長野県に住んでいることもあり、私は、家族と共に幼少期から長野県を訪れている。よく訪れるのは、祖父の家がある上田市と、軽井沢。  今年のゴールデンウィークは、祖父の家に寄った後、軽井沢を訪れることになった。  そのため、現在、軽井沢のホテルでこの記事をしたためている。  久しぶりに祖父の家を訪れると、薄紫色の花弁をつけた「マツバウンラン」が自生していた。 その小さな花の様子は、妖精たちが靴をパタパタと散らつか

          初夏への移ろいに、思ったこと

          ナガミヒナゲシと人生訓

           2024年5月1日の朝の天気は、雨が降りそうなくもり。  春のまどろんだ湿気を頬に感じながら、近所の住宅街を散歩する。  最近、Googleレンズで草花の写真を撮り、名前を検索するようにしている。  本日出会ったのは、「ナガミヒナゲシ」だ。橙色のワンピースをふわりと身にまとった少女を想起させる、可憐な花である。道路沿いによく見かけるので、名前は知らなくとも、見たことがある人は多いと思う。  ナガミヒナゲシについて少し調べてみると、アルカロイド性の毒性があるため、素手で

          ナガミヒナゲシと人生訓

          向かい風、逆風に春一番

           前回の投稿をしてから、2か月余りが経った。  愛犬の散歩をしていると、ホトケノザが鮮やかに色づいていて、「春が来たなあ」と、ほのかに嬉しい気持ちになる。    新年ということもあり、前回には「頑張ろう」と宣言したものの、病気の恐ろしさに包まれて、一進一退の状態が続いている。一進一退の状態だからこそ、滓が溜まるように、現実で起きてくる問題が停滞してしまっているように感じている。  この病気になってから、チーズを探すネズミみたいに、ちょろちょろと不安が浮かんでくることが増え

          向かい風、逆風に春一番

          新年が明けて

           あけましておめでとうございます。  新年が明けてから、石川県の大地震などを始め、心穏やかでないニュースが身を取り囲んでいる。  どうか、今日1日も皆さまが平穏に過ごせますように。  今朝、愛犬を連れて近所の公園へ散歩に出かけた。冬の朝の寒さには厳しいものがあるけれども、背中に当たる太陽は、きらきらとあたたかい。薄氷のカーテンにくるまれたような心地を覚える。  耳をすませば、カラスが大きな翼を振るわせている音も聞こえてくる。  前回の投稿をした後、無事退院した私は、自

          新年が明けて

          初冬と忘れ物

           窓辺からみえる街路樹はいまや散り、寂しげに葉を揺らしている。   ある日、私が窓辺から目を凝らすと、通りを挟んで向かい側に、小さな託児所があることを発見した。  それからというもの、私は、毎朝託児所に連れてこられている子どもたちを、少しだけ観察するようになった。  「早く行こうよ」と、小さな弟の手をひっぱる女の子や、行くのを渋っている男の子、去り行くお母さんを、いつまでもじっと見つめている子ども。  野に咲く小さな花々のように、その様子は点々ばらばらだ。  私の子

          初冬と忘れ物

          雨の日に、ぽつりと

           入院したばかりの頃は、誇らしげに葉を茂らせていた銀杏の木は、今や赤みがかったシナモン色に染まっている。足元には、はらはらと葉が落ちていて、灰色のコンクリートに彩りを添えている。    コロナの影響で、外出ができないという病院の方針から、外出できないのであるが、傘をさしている人々を窓辺で眺めては「今は雨が降っているのか」とハッとさせられる。  よく目を凝らせば、針のような細さで、やわらかに雨が降っているのが見えるのだけれど、意外と気づかないものだ。  あまり深刻な病というわ

          雨の日に、ぽつりと

          詩作「追憶の」

          青と白にまぎれて ふっと息をこぼした 透明な魚が 目の前を泳いでゆく 白い花々に見つめられて ポケットにいちまいの葉を しのばせる 砂に埋まった木々たちを 波風が遠くさらうので

          詩作「追憶の」

          落ち葉をふわりと散らして

           私が入院している部屋がある、七階の西病棟からは、やわらかな太陽の光に照らされて金色に染まる、銀杏の木々が見える。転倒などの危険性のために庭園には行けないため、残念ながら、澄んだ秋の空気を吸うことはできない。そのため、この木々たちが秋を感じる指針となっている。  秋をイメージするとき、私は子どもの頃を思い出す。特に小学校の頃の記憶だろうか。  私の小学校の校庭には、背の低い子どもがあんぐりと口を開けるくらい、大きな銀杏の木がそびえたっていた。秋になると、臭い銀杏が地面に落

          落ち葉をふわりと散らして

          新宿駅に向かうバス車内で―「ある朝のできごと」—

           私はかすかな振動を感じて目を覚ました。目をうっすらと開けると、紺色の布がピンと張られた座席に、折り畳み式の小さなテーブルとドリンクホルダー、荷物をかけるフックが見える。  下方を見ると、「走行中はシートベルトを着用して下さい」と記載された紙が網ポケットに入っていた。ああそうだ、新宿駅に行くために高速バスに乗っていたんだっけ、と陽光が射さない曇り空のように、ぼんやりとした頭で考える。バスの車内には上品な老夫婦に、出張らしき会社員の3人しか乗車しておらず、大学生くらいの年代の

          新宿駅に向かうバス車内で―「ある朝のできごと」—