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入院前、静かな湖の底に旅行鞄
窓を開けると、涼しげで、羽衣のような初夏の風が舞い込んでくる。
さわさわと揺れる木々の葉は、しずかに歌っている。
入院前日の午後は、やわらかさで満ちている――。
今年のゴールデンウィークは、病気の進行とともに、入院するか否か、非常に悩まされた。
去年は就職活動で頭と胸を悩まされていたけれど、今年は入院することに悩むことになるとは。
「よくもまあ、人生というものは分からないものだ」と驚かされる。
まるで、猫があくびをひとつするかのよう。
今日は、午前中から、入院準備のための買い出しに出かけた。
ひとが、1か月から2か月暮らすとなると、案外手荷物は多くなる。歯磨き粉や歯ブラシ、ヘアスプレーからシャンプー、ボディソープに着替えや下着にペットボトルのお水、マグカップにお菓子……。
それに、暇をつぶすための趣味たち。塗り絵に、お手紙を書くポストカード、あまり読まない海外文学を鞄に詰めてみたり。
ひとつひとつ、生活用品をトランクケースに詰めていく。すると、ぼうっと暗い満月が光るように、悲しいとも、不安感ともいえない気持ちにおそわれた。
1か月で、体重が十数キロ増えてしまうことが、たまらなく恐ろしい。
それに、食事と「ちゃんと」向き合わないといけないことも。
その恐ろしさは、何と形容すればよいのだろう。
幼い子どもに、金色の鐘を握らせて、「夜中に散歩してきなさい――」と命じてみる。その子どもは、震えながら夜の街をそうっと忍び足で歩いていくはずだ。
……なんて、そんな不思議なイメージが思い浮かぶ。
見えない不安感に手を伸ばしていく、踏み込んでいく、そんな感覚に近い気がする。水面もたたない、静かな湖の底に引きずられていくような感覚。
一方で、「もう病気にたっぷりと苦しんできたから、手放しても良いよね」という気持ちもある。
この病気は長期化する方が多い。私はこの病気にかかって1年半ほどであるが、毎日墨をぼかしたような不安感や恐怖に襲われて、毎日心から笑うことが少ない。
そんなとき、人生の困難な面を、味わっているように思う。
この苦しみから逃れるなら、今回の入院は光芒のようなものだ。
薄い雲がたなびき、やわらかな光が青空を包んでゆく。キジバトが平和を示すかのように、あっけらかんと鳴いている。
入院前日、私はそんなことを思いながらこのエッセイをしたためている。
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