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雨の日に、ぽつりと
入院したばかりの頃は、誇らしげに葉を茂らせていた銀杏の木は、今や赤みがかったシナモン色に染まっている。足元には、はらはらと葉が落ちていて、灰色のコンクリートに彩りを添えている。
コロナの影響で、外出ができないという病院の方針から、外出できないのであるが、傘をさしている人々を窓辺で眺めては「今は雨が降っているのか」とハッとさせられる。
よく目を凝らせば、針のような細さで、やわらかに雨が降っているのが見えるのだけれど、意外と気づかないものだ。
あまり深刻な病というわけではないが、かれこれ入院して1か月になる。入院という環境にいるおかげか、おのれの心と闘うことが多い。
はたから見れば小さなことでも、私には大きい物事と見えるときがあって、『ちびくろサンボ』のトラがバターになったように、心がぐるぐるとしてしまうときが、時々ある。
そうして、自分を見つめている間に、ふと「窓辺でじっと目を凝らさないと天気さえ分からいこと」に気づき、外界との隔たりを少し感じる。ついこの間まで、部屋の窓をガラリとあけて、その手に雨滴を受けていたのに、と思う。
看護師や医者の皆さんは優しく、親切であるし、友人や家族もお見舞いに来てくれるため、決して孤独な入院生活ではない。とても恵まれた入院生活であると思う。
それでも、今日のようにひんやりと静かに、雨がしたたる日は、ふとさみしさを覚え、温もりが恋しくなる。人間の心には、「さみしさ」や「もやもや」のすみか、のようなものがあると考えているのだけれども、そこに反応しているように感じる。
そのすみかは毛玉のように、くしゅくしゅと丸まって、人間の心に巣くっているのだと思う。ただ、そのさみしさは嫌いではない。
ただ平穏にすぎてゆく日常はつまらないから、ぴりり、としたスパイスとして良いのかもしれない。
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