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新年が明けて

 あけましておめでとうございます。

 新年が明けてから、石川県の大地震などを始め、心穏やかでないニュースが身を取り囲んでいる。
 どうか、今日1日も皆さまが平穏に過ごせますように。

 今朝、愛犬を連れて近所の公園へ散歩に出かけた。冬の朝の寒さには厳しいものがあるけれども、背中に当たる太陽は、きらきらとあたたかい。薄氷のカーテンにくるまれたような心地を覚える。

 耳をすませば、カラスが大きな翼を振るわせている音も聞こえてくる。

 前回の投稿をした後、無事退院した私は、自宅で病と向き合っている。

 この病は、日常生活を普通に営みながら回復できる部分も持ち合わせているので、適度に忙しくしつつ、ゆったりと自分のペースを保って、治療しているように思う。

 しかしながら、自分では努力しているつもりでも、先生には優しく「もっと頑張る必要がある」と諭されてしまった。また、家族にも努力の成果が出ていないことを指摘され、思わず昨日は涙をこぼした。

 努力していると思っていても、それは羽衣のようにゆらゆらとしていて、かたちとなって現れないので、悔しさや悲しさに包まれる。

 ふり返ってみれば、ゆっくりと芽が開くのを待てば良いのだ、と自分に少し言い訳をしていたようにも思う。
 土の中は温かく、じっとしているには心地よい。けれども、変化が起きないのも事実である。

 例えば、100カロリーを多く摂取した選択肢をすることについて、私は恐ろしいことに感じるのだが、他人から見れば「大したことのない」ように見えるのだろう。この差を埋めることは、とても困難である。

 洞窟を掘っては進み、立ち止まり、また掘るという行為を繰り返しているようにも感じる。毎食が、小さな闘いだ。

 頭に被った電灯のランプをほのかに灯しながら、手探りで進んでいる感覚に近い。

 海賊の幽霊船の汽笛のように、実在しない「病気の声」によるものである、と頭では分かっていても、恐ろしいものは恐ろしい。しかし、その「恐ろしさ」は実在せず、ホラー映画のようなものなのである。

 いい加減、ホラー映画のスイッチを止めてみないか。

 新年ということもあり、ここから改めて、良いスタートを切りだしてみたいと思った、冬の朝の出来事であった。


 



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