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Photo by
mitsukisora
落ち葉をふわりと散らして
私が入院している部屋がある、七階の西病棟からは、やわらかな太陽の光に照らされて金色に染まる、銀杏の木々が見える。転倒などの危険性のために庭園には行けないため、残念ながら、澄んだ秋の空気を吸うことはできない。そのため、この木々たちが秋を感じる指針となっている。
秋をイメージするとき、私は子どもの頃を思い出す。特に小学校の頃の記憶だろうか。
私の小学校の校庭には、背の低い子どもがあんぐりと口を開けるくらい、大きな銀杏の木がそびえたっていた。秋になると、臭い銀杏が地面に落ちるため、昼休みのマラソンでは踏みつけないように、おっちらおっちらと避けていた。思わず踏みつけてしまうと、その日は一日中、靴の裏からぷわんと臭い匂いがすることになるからだ。
私は昼休みになると、校庭に植えられた色んな木々が落とした葉を、ふんわりとすくって、空に放り投げることが好きだった。金色や赤色、緑色まで色鮮やかな葉が、クラッカーのように自分のもとへ降ってくる。時には風に揺られ、ありとあらゆる方向へぱっと散ってゆく。
まるで秋を届ける妖精になったみたいだ、と、秋の冷たい風を頬で感じながら、そう思ったものだった。毛糸のセーターに落ち葉がくっついてしまい、母に怒られた記憶もしっかり残っている。
いまは大人になってしまったから、そのようなことをしないけれども、路上でぺらぺらになった枯れ葉を見ては、なんとなくあの子どもの頃の枯れ葉の思い出を思い浮かべる。
小さな記憶の欠片は、いまも私をそっと温めてくれる。
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