向かい風、逆風に春一番
前回の投稿をしてから、2か月余りが経った。
愛犬の散歩をしていると、ホトケノザが鮮やかに色づいていて、「春が来たなあ」と、ほのかに嬉しい気持ちになる。
新年ということもあり、前回には「頑張ろう」と宣言したものの、病気の恐ろしさに包まれて、一進一退の状態が続いている。一進一退の状態だからこそ、滓が溜まるように、現実で起きてくる問題が停滞してしまっているように感じている。
この病気になってから、チーズを探すネズミみたいに、ちょろちょろと不安が浮かんでくることが増えたように思う。家族との食事量の比較、食後の罪悪感を逃れるライン、就職活動に、やや強迫的な体操に、ひとりや暇が恐ろしいという不安。
さらには、先生に「この病気にかかると想像性が失われる」との話を聴いた。創作を好いている私にとって、想像性が徐々に蝕ばまれているのではないか、との不安もある。
もちろん、不安ばかりではない。日常生活に嬉しいことも多く起きるし、それなりに楽しく生活を送れていると感じている。それでも、心のどこかには常に不安がのぞいていて、心から穏やかな生活を送れている、とは言えないかもしれない。
食べることが恐ろしいだけで、こんなに不自由な生活が待っているなんて思ってもいなかったことだ。一方で、マイノリティや、他人との価値観は異なるということを、理解できるようになった気もする。この病気にかかって、良かったと思う点の1つだ。
水滴のついたガラス窓を隔てるように、向かい側の人との世界は全く異なるだろうし、完全なる理解は難しい。この病気なら、なおさらである。
薄氷を想起させる、冷たく厳しい逆風が、散歩しているときに吹きつけてきた。思わず目をつむる。しかし次の瞬間には、吹き飛ばされそうになるくらいの追い風が私を包んだ。
逆風と思いきや、向かい風に。
とんだ春一番だ。
一見悪いことに思えることでも、裏から見れば、良いことであったりする。つまり、表裏一体なのだと思う。
ゆっくり進んでいけばよい、と周囲の人々は言ってくれるけれど、焦ってしまうのも、今の私の気持ち。小川を流れる桜の花びらのように、すいーっと気ままに、人生を流れてゆきたいものだ。
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