アドラー心理学は私には到底無理だ
chaicoです。
いつだったか一週間前くらいに、心が荒れてた時に書いた記事。下書きにあってどうしようか迷ったけどいまさら投稿。
***
アドラーの心理学は理解して習得するのに
それを知った年齢の半分の年かかるらしい。
わたしは40くらいということになる。
「課題の分離」や「目的論」
『嫌われる勇気』という本を読んで、最後まで読むと言いたいことはなんとなく分かった。
だけど、
感情で生きてきたわたしは、
過去に執着しているわたしは、
自分が正しいと思ってしまうわたしは、
他人が間違ってると思ってしまうわたしは、
人を羨んでしまうわたしは、
自分はまだまだこんなもんじゃない、機会さえ与えられればできるのにといらないプライドを持っているわたしは、
人からどう思われているのか気にしているわたしは、
外見だけで判断せず私の内面を理解してほしいと思うわたしは、
アドラーの考えとは真逆な人生を生きている。
私は、小学生の頃から勉強が人よりできた。中学も優等生、高校もなんでもできる優等生と思われていた。たぶん。そして、他人の評価の通りの八方美人を演じて、優等生でいた。家では荒れ果てていたけど。勉強を死ぬほどしてそこそこのいい大学に行けた。
大学は賢いひとが多くて、自分はそんなだったんだなぁ世界は広いなぁと気付かされた。
勉強すればいい大学に入れていいところに就職できて裕福に暮らせる。
そう信じていた。そう親にも言われていた。
でも私のそれは、社会人でおわった。目標を見失った。就職も今思えばそりゃ落ちる。
ずっと将来したいこともなかった。
飛び抜けてできることもなかった。
趣味もなかった。続かない。
ただ、なんでもすると人並みにはできただけ。
勉強できなくても良かった。
何か一つでも飛び抜けた才能や
何か一つでも夢があったほうがよいと
いつも思う。
何かに、熱中できるひとがうらやましい。
アニメでもいいしゲームでもいい。料理でもいいし、スポーツでもいい。うらやましい。
そこそこいい大学に入ったことが
わたしのコンプレックスになっていて
へんなプライドになっていて
それが私を苦しめている。
こう思うことはアドラー的には「原因論」で
つまり「目的論」の逆。アドラーからすると過去は存在しない、トラウマなんてない。
だけど。。
惨めだ。
給料が全てではないけれど、なぜ私は稼げないんだろう。なぜしたいことがないんだろう。なぜ、続かないんだろう。なんで、できないんだろう。なんのために、勉強していたんだろう。
過去にとらわれている。
口先だけは達者。
だいたいの本は言ってることはわかるし
いろんな概念は頭に入っているから
言うことは理論的だとおもう。
ただできていない実際自分は。
何もかも疲れてしまう
すべて捨ててしまいたい。
すべて壊してしまいたい。
そういうときがたまにある
料理をするのは好きだった。
好きだけど、おいしそうな料理を毎日作っている友人を見るとやる気をなくす。料理すらいやになってる。
ひねくれ者。
今を生きているつもりでも
社会人になると何年たったかわからないくらい
毎年毎年なにをしているのか
勉強してたころが幸せだった。そのときは、嫌だったけど、いまよりは。
大学に合格するという目標に向かって、ひたすら毎日勉強する。そういう日々。
旦那さんは大学の後輩。
ちゃんと就職して立派に稼いでくれるおかげで私は生きている。私の給料なんて
旦那さんと出会えたから、
旦那さんと出会うために
その大学に行ったんだといまは言い聞かせているけれど。内心、なんで同じ大学でてるのに、わたしの方が絶対努力してきたのになんで?と思う。悔しい。
そんなこんなで、落ち込んだときのわたしは、
いつもこういう考えがくるくるくる
こんなの読んでる人もくらーくなるよね。
外行きたいな。
河川敷の階段に座って風にあたっているとき。
実家の庭の石段に腰掛けているとき。
その時だけが何も考えなくていい
ずっとここにいたい。
植物になりたい。自然の一部に。
風になりたい。空になりたい。
草が伸びてきたなぁ
***
たまーに、よぎるこういう思考。
来年は飛び立とうと思う。飛び出すつもり。
旦那さんと2人でそんな目標を立てた。
さて、一年後どうなっているでしょう。
お楽しみに。笑
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