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解説 私を離れては何もできない(第二説教集20章2部) #185

原題:An Homily of Repentance, and of true Reconciliation unto God. (悔い改めと神との真の和解についての説教)

第2部の解説です。聖句でいうテーマはこれでしょう。

行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。(ヨハネによる福音書 第8章11節)

第1部のポイントは次の3点です。
①第1部の振り返り
②悔い改めを成す4つのもの
③まとめと結びの短い祈り

まず第1部の内容が振り返られます。悔い改めは大きいものであり、聖書は全体としてそれを説いている。悔い改めの要諦とそれに関する誤謬。人間は自らの力で神に立ち帰ることはできない。このようなことがまとめて振り返られます。その上で本題に入ります。第2部は悔い改めを成す4つのものについてのお話です。

悔い改めは四つのものから成るのですが、それらは昇りやすい梯子のように見ることができます。それによってわたしたちは破滅という底知れぬ奈落を出て、神への日々の反抗など大きな罪からわたしたち自身を救い、永遠にある救いの宮へと至ることができます。

一つ目です。

第一は心からの告解です。わたしたちは自身の罪を深く悔い、罪によって無辺のご慈悲を持つ神に大いに反抗していることをはっきりと嘆かなければなりません。

まずは罪を自覚し、それを口にすること。罪を心から嘆くことが悔い改めには必要であると説かれます。これができるようになるための前提として聖書をよく読むことが求められています。

これがわたしたちのなかで起きるためには、そもそもの不浄さと生の大きな罪深さがわたしたちの目に極めて明らかに現れるために、勤勉に聖書にある神のみ言葉を読んでそれに耳を傾けなければなりません。

二つ目です。

第二は、神に対する揺るがぬ告白と罪の自覚です。(略)わたしたちが悲しみと悔恨に満ちた心で神に対する罪を確固として告白すれば、神は広いみ心をもってその罪を赦され、わたしたちに邪さがあったことをご自身の記憶から消し去られ、それ以上は不問に付されます。

一つ目のものと重複する感もありますが、これは告白の仕方、あるいは告白とはどのようなものかということにかかわるものになっています。

その告白のかたちについて聖ヤコブは「癒されるように、互いに罪を告白し、互いのために祈りなさい(ヤコ5・16)」と言っています。彼がここで言っているのは、自身の悲しみとなっていることを他者に見せることによって癒しが得られるということです。

罪の告白を互いにする。互いが互いの告白に耳を傾ける。ここに、揺るがぬ告白と罪の自覚が成り立つという考えです。そして互いに告白しあうということは、信徒が聖職者の告白をきき、罪を赦すことができるということであるとされます。カトリックの「懺悔室」への批判ともとれます。

というのは聖書のこの箇所がよく踏まえられているならば、秘密の告解の場で信徒が聖職者に対して自身の告白をするように、聖職者も信徒に対して自身の告白をするべきだからです。祈りとは免罪であり、聖書のこの箇所によるならば、聖職者が信徒の罪を赦す権能を持っているのと同じく、信徒も聖職者の咎を免ずる権能を持っていることになります。

三つ目です。

悔い改めの第三は信仰です。信仰によってわたしたちは罪の寛大な赦しに触れ、神の約束を理解してそれを守ることができます。その約束はみ子イエス・キリストの死と流血によってわたしたちに与えられています。

信仰がなければ何事も無意味であると言わんばかりのものです。信じなければ始まらない。信じれば救われる。聖書にある具体的な例として、ユダが救われずペトロが救われたことについて述べられます。

なぜ一方はふたたび神の愛に受け入れられたのに、もう一方は捨て去られたのでしょうか。それは、一方は知らないと否定した方に対して持っている自身の中の生ける信仰により神のご慈悲に与ることができたものの、もう一方は信仰を望みながらも神の善性とご慈悲に絶望したからです。

四つ目です。

悔い改めを成す第四のものは命の向き直し、つまりは新しい命であり、悔い改めによってもたらされる果実です。真に悔い改める人は新しく生まれ変わるべく清められて新しい人となり、もはや以前のような人ではなくなります。

この具体的な例としては、ザアカイも取り上げられています。

救い主イエス・キリストが来られて、彼は「主よ、私は財産の半分を貧しい人々に施します。また、誰からでも、だまし取った物は、それを四倍にして返します(ルカ19・8)」と言いました。ここでわたしたちは、彼が悔い改めによって以前の彼とは違うものとなり、新しく生まれ変わったことを見ることができます。

悔い改めを成すのは、心からの告白と、罪の深い自覚と、信仰と、命の向き直しである。これをまとめて、短い祈りをもって、第2部は終わります。



今回は第二説教集第20章第2部「私を離れては何もできない」の解説でした。次はこの試訳となりますが、1回でお届けするにはやや長いので、2回に分けてお届けします。


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