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勤勉な手は豊かになる(2)(第二説教集19章試訳2) #181

原題:An Homily against Idleness. (怠惰を戒める説教)

※第19章の試訳は2回に分けてお届けしています。その2回目です。
※タイトルと小見出しは訳者によります。
※原文の音声はこちら(Alastair Roberts氏の朗読です):
(8分3秒付近から)




ダビデもサムソンも怠惰に堕した

 この逸話を読んだことのある人ならわかるでしょうが、この罪が招いた災厄は恐ろしくて深いものでした(同12・11)。もう一つの逸話はサムソンについてのものです。彼は神の民の敵であるペリシテ人と長く戦っていたのですが、その中で捕らえられることも倒されることもありませんでした。しかし彼は安穏として怠惰に流れ、遊女デリラとの不品行に陥り、ついには敵方に捕らえられて無残にも両目をえぐり出され、牢に入れられて粉を挽く者とされ見せ物となりました(士16・21)。神に愛でられて他に類を見ない賜物に与り、本来はかたや特に預言者として、かたや力持ちとして卓越し、傷心にも労役にも困難にも決して負けることのないこの二人でさえ、かりそめの間とはいえ安穏として怠惰に堕して深い罪に落ちました。この二人でさえ神のみ手から悲惨な災厄を受け続けたのならどのような罪や悲惨を、またどのような罰や災厄を日々安穏として怠惰に過ごすことにこの世の生を捧げている者は恐れなければならないでしょうか。何も思い当たる節がなくほとんど痛みを感じないなどと考えて自身を欺いてはいけません。

悪魔は人を誘惑することに勤勉である

実際のところ、何もしていないというのなら、それを悪魔から学んでしまっているのです。悪魔がわたしたちの心に入ってくるかもしれないと常に何らかの用心をしておくことが大切です。悪魔は勤勉であって怠惰ではなく、歩き回ってわたしたちを貪り続けています。わたしたちは労働の中で、また善き行いをする中でよく目を見開いて悪魔に抵抗するべきです。誠意をもった仕事に自身を勤勉に向ける人が悪魔の罠にたやすくかかってしまうなどありえません。人間は怠惰によって、あるいは取引や商売の失敗によって、生活の糧など必要な物を欠くという貧困に陥ることがあります。そしてそのような者がむやみに物を得ようとしてどれほど嘘をついて隣人を欺いているかを、また偽証して人を騙して時には盗みや殺しを行うなど神のみ心に沿わない手段を用いているかをわたしたちは目にしています。その者は名声や高い評判や良心を人生において完全に失うだけではなく、神の大いなるご不興や怒りを買うことによって、あまたのさまざまの大いなる災厄が降りかかることになります。

怠惰を罰する異教世界の法律

 ああ、ここに怠惰で緩慢な肉体の行く果てがあります。その手が勤勉な労働から離れれば、この世での名声も評価も評判も生活もなく、神の大いなる慈悲を受けることもなく、来るべき世において永遠の破滅に至ることになります。すべての人にとって、怠惰によく気をつけなくてもよいという道理があるでしょうか。怠惰を貪る者は自分にとって心地のよいその怠惰というものによって、やがて激しい怒りの罰を受けることになります。善良にして信仰深い人ならば怠惰がこの世にもたらす深刻で大きな害をよく考えて、常にあらゆる勤勉さをもって悪を正して改めさせるために厳しい法律が定められるべきとするでしょう。古代エジプト人には、毎週すべての人が自身の評判についてその地方の統治者に報告し、どのような方法で商売を行っているかを伝えなければならないという法律がありました。これによって怠惰は適切に罰せられ、勤勉に労働する者には正当な報奨が与えられました。古代アテネでは怠惰で緩慢な者に罰を与えていたので、誰もが怠惰によってその名のとおり悲惨なことが起こると考え、この悪辣で罪深い行いをすることはありませんでした。アレオパゴスの判事はすべての人にどのように生活しているかを直接に尋ねたのですが、怠け者でどのような方法をもってしても社会に利益をもたらさない者とみなされた場合、その者は有益ではない者として引き出されて罰せられ、肉体を酷く打たれました。

子に学を修めさせよく働かせよ

このイングランドではよく整っていて神のみ心に適った法律が何度も定められてきたのですが、神にも君主にも仕えていない、他人の労働によって得られる甘美な果実を貪る怠惰な浮浪者はみな、罰を受けることなしに町から町へ土地から土地へと動くことを許されはしませんでした。彼らは周囲に嘘をつく者、大酒を飲む者、人を呪う者、物を盗む者、不貞を為す者、人を殺める者であり、あらゆる誠実な労働を拒み、自身に悲惨をもたらすほかには何事もしない者で、獲物を狙うどんな獅子よりも貪欲に物を欲しがっているからです。そうさせないために、親は子を養い育てるにあたり、良く学問を修めさせ、働かせ、誠実な商売や取引の方法を身に着けさせなければなりません。そのようにして子がやがてしっかりと自分の身を立てるだけでなく、隣人が望んで求めるものを分け与えることができるようにしなければなりません。聖パウロはこう語っています。「盗みを働く者は、もう盗んではいけません。むしろ、労苦して自らの手で真面目に働き、必要としている人に分け与えることができるようになりなさい(エフェ4・28)。」預言者ダビデは自身の労働によって生きる人は幸せであるとして「あなたの手が苦労して得た実は必ずあなたが食べる(詩128・2)」と述べています。幸福と祝福はそのようにして得られるものです。

勤勉な人は怠惰になる機会がない

 第一にはソロモンが言うように「すべての人は食べ、飲み、あらゆる労苦の内に幸せを見出す。これこそが神の賜物である(コへ3・13)」ということです。第二には人は自身の労働によって生きれば、誠実で善良であり良心をもって労働によって生きることができるということです。真っすぐな良心は値のつけようのない宝です。第三には聖パウロの言葉にもあるとおり、人がパンを食べるのに喧嘩や言い争いをもってではなく穏やかさや静けさをもってそうできるのは、その人がそれを得るために平穏に働いているからであるということです。第四にはそういう人は自身の食べ物を求めるために誰かの奴隷になることも他人の善意にすがる必要もなく、自身で食べ物を得て生きているどころかむしろそれを他の人に分け与えもするということです。つまるところ働いている人とその家族は労働に専念しているので、怠惰の中に生きる人が受ける罪のあらゆる誘惑や機会を持つことがありません。職人や工夫は自分の仕事によって賃金を得て、神への良心や隣人への務めを果たすべきです。高額の賃金と広い土地でもって騙されて自分の人生を怠惰の中で生きてはいけません。そのように生きる者は実際のところ怠けることによって賃金を得ようとするのですから、ただ怠惰な者よりも悪質です。

騙す者は怠惰な者よりも悪質である

怠惰でいるために賃金を得られていない者のほうが、怠惰でありながら隣人の財布から分不相応の賃金を得ようとする者よりも、まだ神の怒りに触れる危うさは小さいでしょう。まさに全能の神は雇われていながら賃金を騙し取る者に対して怒りを向けられます。騙された人の復讐を求める叫びが神の耳に届くからです。労働において人を偽る者は神のみ前にあってまさしく泥棒です。聖パウロはテサロニケの信徒に「このようなことで、きょうだいを踏みつけたり、欺いたりしてはなりません。私たちが以前、あなたがたに告げ、また厳しく命じたように、主はこれらすべてのことについて正しく裁かれるからです(一テサ4・6)」と述べています。神への信仰を持ち神の祝福にすべてを委ねて働く人は、自身の生において必要なものすべてを他に与え、自身の生を信仰深い労働に献げます。病などの不運があった際に労働を止めることになっても、神と隣人に対して真に行ってきた健全さの中にあるので、必要な物がなくて困るということはありません。神はその人が病に倒れていなかった際の信仰深い働きをご覧になっており、その困窮を救うべく世の善良なる人々の心に働きかけ、病の床にあるその人を救われます。これとは反対に、怠惰に囚われた者はみな、必要なときに助けを求める術を持ちません。

頭であるキリストへと成長していく

 よく働く人は怠惰や欺瞞という悪徳を自ら避け、あらゆる欺瞞や不誠実や虚言を遠ざけ、隣人に真と純粋さを尽くすものと聖パウロが語ったことを忘れてはなりません。わたしたちは「頭であるキリストへとあらゆる点で成長していくのです(エフェ4・15)。」この王国に仕えながら自身の生を怠惰の中で過ごしている人は責められることでしょう。そのような人は自分に与えられた人生の意味をわかっていません。どのような仕えかたをすれば自分のためにならずただ年齢を重ねるだけとなってしまうのでしょうか。良い商売をしたいのに怠惰な時間を多く持つなど、どのような考えから生まれるものでしょうか。どのようにすれば知識を増やすことができ、それによってすべての人の仕事にとって価値あるものができるのかを考えないでしまっています。正しくものを書くことも、勘定書きをつけておくことも、いろいろな言語を学ぶことも、またあらゆる言語で書かれて現にたくさん出回っている本などにある知恵や知識を得てもいないのは大いに責められるべきことです。

神があなたを裁くと知りおくべし

若い人には人生の貴さをよく考えさせ、怠惰になってお祭り騒ぎや遊興や酒宴に溺れて、ならず者たちのなかに身をやつすことのないようにさせなければなりません。若さとは移ろうものでしかないことを神のみ前にあってよく考えさせるべきです。若いとき人はどれほど陽気になって楽しんでしまうものでしょう。かの王はこう言っています。「若者よ、あなたの若さを喜べ。若き日にあなたの心を楽しませよ。心に適う道をあなたの目に映るとおりに歩め。だがこれらすべてについて、神があなたを裁かれると知っておけ(コへ11・9)。」慈悲深い神はこれをある種の人すべての心の中に置かれます。その種の人とは自分の手に罰という剣を持ち、それが届くなかに自身の一族を置いて、一族のうちこの世で怠惰に益なく生きて神の誉れを汚し、蒙昧な民にとっての災厄となる者すべての大きな悪を正すために働く人です。罪を罰せられないままにして、若者が健やかに育つことを妨げていれば神の怒りを招き、わたしたちの頭上に大きな災厄が降りかかることになります。不義を犯す者が改心することなく淫らなままに生きた結果として、『民数記』にあるとおりイスラエルで疫病が長く続きました。

まとめと結びの祈り~怠惰を退ける

 しかし、当然の罰がイスラエルの民に対して下されたとき、神の怒りはただちに和らぎ、疫病は止みました(民25・8~9)。すべての官吏は自分の務めに忠実であるべきです。家長はみな自身の一族にある悪行を正すべきです。神が授けられた権能を活かすべきです。王国や一族の中に浮浪者など怠惰で悪辣な者たちを生み出すことがあってはなりません。あらゆる悪の母である怠惰が一掃されて、全能の神がわたしたちに対して大いなる怒りを向けられることなく、ただ一人の救い主イエス・キリストの功績による平安の契約をとこしえに固められるようにしなければなりません。キリストに、神と聖霊とともに、すべての誉れと栄えが世々限りなくありますように。アーメン。


今回は第二説教集第19章「勤勉な手は豊かになる」の試訳2でした。これで第19章を終わります。次回から第20章に入ります。最後までお読みいただきありがとうございました。

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