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解説 愛をもって耐えた方(第二説教集13章2部) #152

原題:The Second Homily concerning the Death and Passion of our Saviour Christ. (救い主キリストの死と受難についての第二の説教)

第2部に入ります。聖句でいうテーマはこれでしょう。

私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。(ローマの信徒への手紙 第5章8節)

第2部のポイントは次の5点です。
①人間は自身を救うことができるか
②旧い律法を守ることは救いとなるか
③救いはキリストのみにおいてある
④確かな信仰を持つべし
⑤まとめと結びの祈り

冒頭で始祖であるアダムが犯した罪と、それを後世すべての人間が受け継いでいることが確認されます。

わたしたちの始祖であるアダムは「妻の声に聞き従い(創3・17)」楽園で禁じられていた果実を食べ神の戒めを破り、自身に対して、また、自身の子孫に対しては永遠に、神の大いなる怒りを受けました。神はその戒めを与える際に発せられたみ言葉のとおり、アダムはもとより、彼に繋がるすべての人間を肉体と魂の永遠なる死に定められました。

死と滅びに定められた人間は自身を守ろう、あるいは救おうとして、いろいろなことを考えますが、すべて無駄なこととされます。

人間がどうして自身の救済を為すことができるというのでしょう。人間は旧い律法に定められたとおり、「雄山羊や雄牛の血、また雌牛の灰(ヘブ9・13)」など「焼き尽くすいけにえ(同10・8)」を献げることによって、神の大いなる怒りを鎮めることができるというのでしょうか。ああ、このようなものには罪を取り除く力も強さもありません。

人間の考えることなどたかが知れています。到底、そのようなもので人間を救うことはできません。では神から与えられた律法を守ればよいのか。これについてはこう説かれています。

ここに、律法に従って生きることによって約束される永遠の命があります。しかし堕落した後の人間の脆さはあまりに大きく、また虚弱や愚劣もあまりに大きいものでした。歩みが覚束ないものとならないようにしながらも、人間は神の戒めを守って真っすぐに歩くことができず、むしろ日々刻々としだいにその定められた務めから離れました。

つまり人間は自身の創作物で自身を救うことができず、また、神に律法を与えられてもそれを守る力もない、とても弱い存在であるということになります。この弱い存在である人間を救うためにみ子イエス・キリストの犠牲があったのだと述べられます。聖書の言葉が引用され強められます。

「神は、罪を知らない方を、私たちのために罪となさいました。私たちが、その方にあって神の義となるためです(二コリ5・21)」

「キリストも、正しい方でありながら、正しくない者たちのために、罪のゆえにただ一度苦しまれました(一ペト3・18)」

しかしそもそもなぜキリストは神でありながら人間の姿となって世にくだり、苦しみを受けたのか。そのそもそものところに目を向けるべきであると訴えられます。

わたしたちはキリストの死の原因についてよく考えなければなりません。(略)簡潔に一言でこれを理解するとするならば、わたしたちの側には背信や罪のほかには何もなかったということに尽きます。(略)罪こそが、ああ、あなたがた人間の罪こそが神のたった一人のみ子であるキリストの肉体を十字架につけ、そこで極めて苦痛に満ちたむごたらしい死をキリストにもたらしました。もしあなたがた人間が自身を正していたら、神の戒めを守っていたら、始祖であるアダムが神のみ心に反しようと考えなかったらどうだったでしょう。キリストは神の形であられるながら僕の姿でこの世に来られる必要はありませんでした。

人間が罪を犯したから神がみ子キリストを世に遣わした。この神の大いなる愛を思ってこれを受け入れるとき、わたしたちが持たなければならないものが何であるのかが説かれます。

それは信仰です。ただし、不確かでかりそめの信仰ではなく、確かで固く土台のしっかりした、脆さのない信仰です。「神は、その独り子をお与えになった」と聖ヨハネは言っています。それは何のためだったでしょうか。「御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るため(ヨハ3・16)」です。この「御子を信じる者」という言葉が大切です。

わたしたちは強く信仰を持つべきである。信仰を持つ者のみが救われる。愛をもって苦しみを受け死を迎えたキリストを信仰をもって思うべきであるということが説かれ、結びの祈りをもって、第2部は、つまり第13章は終わります。

今回は第二説教集第13章第2部「愛をもって耐えた方」の解説でした。次はこの試訳となりますが、一度でお届けするには長いので、2回に分けることとします。

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