解説 慈善は信仰の実である(第二説教集11章2部) #141
原題:An Homily of Aims-Deeds, and Mercifulness toward the Poor and Needy. (助けを求める貧しい人々に対する施しと慈善についての説教)
第2部に入ります。聖句でいうテーマはこれでしょう。
むしろできることを施しとして与えなさい。そうすれば、あなたがたにはすべてのものが清くなる。(ルカによる福音書 第11章41節)
第2部のポイントは次の4点です。
①第1部の振り返りと第2部の目的
②施しをすることによって得るもの
③施しをするにあたっての誤解を持つ者
④信仰深い人は誤解を持たない
まず第1部が振り返られ、第2部の目的が示されます。
具体的なこととして、この世の肉的な富を選ぶか、魂の健全さを選ぶかというところから迫ります。
来世での命を待ち望むなら魂の健全さを選ぶべきです。肉的な富とは違う富がそこにあるとされます。
キリストと弟子たちがファリサイ派に不当にも訴えられたのは、長年の取り決めを破ったからでした。しかしその上でキリストは魂を清く保つ方法としてこう説いていることが示されます。
貧しい人々を助けるために憐れみ深くあることが、魂を純粋に清くしておくための方法であるいうことになります。これを確認したのち、施しをしさえすればそれでよしとするような誤解を打ち消すべく説教が進められます。
この説教集全体に通底することですが、聖霊の働きがあって信仰をともなう善き行いをなすことができると説かれています。行いによって義とされるのではないという一貫した教えをみることができます。上に挙げたルカ福音書の言葉をもとにこのようにも説かれています。
第2部の終わりに向かうなかで、そもそも信仰深く、また慎ましくあれば、行いの大小によって救いのあるなしが決まると考えるはずがないということが繰り返し説かれます。聖書の言葉を引用しながら、神を畏れ、身を低くすることの大切さが訴えられます。
貧しい人に施しをすることの大切さを説き、そうすることを勧め、それによる果実の大きさを示しつつも、そもそもこれらは信仰によってあるものであることが確認されながら第2部は終わります。
今回は第二説教集第11章第2部「慈善は信仰の実である」の解説でした。次はこの試訳となります。
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