解説 勤勉な手は豊かになる(第二説教集19章) #179
原題:An Homily against Idleness. (怠惰を戒める説教)
第19章に入ります。前の18章と同じく、この章も部に分かれていません。章としては短めの説教です。聖句でいうテーマはこれでしょう。
このようなことで、きょうだいを踏みつけたり、欺いたりしてはなりません。私たちが以前、あなたがたに告げ、また厳しく命じたように、主はこれらすべてのことについて正しく裁かれるからです。(テサロニケの信徒への手紙一 第4章6節)
第19章のポイントは次の4点です。
①神は人間に勤勉を求めている
②勤勉を捨て怠惰に堕するのは罪である
③怠惰な上に人を欺くのはさらに罪である
④まとめと結びの祈り
神はそもそも人間を楽園に置きました。しかしその楽園にいられなくなったのは悪魔に唆された人間の罪ゆえでした。
神は人間を愛したからこそ、楽園を追放しつつも救いの道を用意しようとして勤勉に働くことを求めました。
しかし人間はなおも堕落し、怠惰でいることを選ぶ性向をもってしまいました。この説教では人間のこのありかたをさまざまに戒め、勤勉に働くことを強く勧めています。
世の中にはいろいろな人がいて、したがって働く形は一様ではなく、それぞれに最善を尽くして世のために行いを為すことが求められます。
ところで、働かなければ当然のことながら暮らし向きが悪くなるわけですが、これについて興味深いくだりがあります。
確かにもっともなことです。昨今あるひとつの風潮として「自己責任論」というのがありますが、これに通じることが説かれています。いつの世も、またいずこの国でも同じということなのでしょうか。ただ、この説教で強く説かれているのは、この世で怠惰に過ごしてしまった場合に受ける報いの大きさです。
怠惰はこの世における貧しい暮らしにつながる以上に、魂の滅びに、つまり来世の命を失うことにつながるということになります。怠惰は大きな罪であり滅びです。このことが旧約・新約の両方の聖書から、また異教世界の法律からも、さまざまに引用されて戒められていきます。
怠惰が戒められていますが、怠惰よりも悪いものとして、このようなことが説かれます。
ただ怠惰であるのは罪ですが、それ以上に、怠惰でありながら隣人から奪うのはもっと重い罪である。人は分不相応を望まず、慎ましく勤勉に生きるべきである。そうして世のために、神のみ心に適って働くべきである。このことが繰り返し説かれ、祈りの言葉で第19章は終わります。
今回は第二説教集第19章「勤勉な手は豊かになる」の解説でした。次はこの試訳となりますが、1回でお届けするにはやや長いので、2回に分けてお届けします。
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