解説 三にして一なる神(第二説教集16章1部) #162
原題:An Homily concerning the Coming down of the Holy Ghost, and the manifold Gifts of the same, for Whitsunday. (聖霊の降臨とそのあまたの賜物についての説教、聖霊降臨祭のために)
第16章に入ります。まずは第1部の解説です。第1部の聖句でいうテーマはこれでしょう。
突然、激しい風が吹いて来るような音が天から起こり、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話し出した。(使徒言行録 第1章2~4節)
第1部のポイントは次の5点です。
①ペンテコステとは何か
②聖霊とそのはたらき
③人間の内に住まう聖霊
④聖霊が内に宿ることの気付き
⑤第2部の予告と結びの短い祈り
まずペンテコステとはどのようなものであるかが、そもそもの起源をユダヤ教に求めて述べられます。
キリストが復活され昇天されたのちに聖霊が世に降ったことについての聖書の有名な言葉が引用されています。
聖霊が世に降ったことによって、使徒たちはキリストの福音を世に宣べ伝えることができたのであり、それを人々が理解することもできたということが確かめられます。次にこの聖霊とはそもそもどのようなものであるかが説かれます。
この三つにして一なる神ということが聖書のさまざまの引用をもって聞く人の理解を深めます。続いて聖霊の働きにかかわり、あらゆるものは聖霊から出ていて、聖霊は人間を内的に変えることができるということが聖書の引用に基づいて説かれます。
このように聖霊は肉的な存在である人間に内的に働き、新しい命をもたらしますが、それだけではなく、人間の内に住まうということが述べられます。やはり聖書の引用で強く訴えられます。
聖霊は人の内に住まうものであるとしても、本当に自身の内に聖霊が宿っているのかを確かめるための指針が、聖書から次のように引用されて強く訴えられます。
この肉の行いを持っている人は聖霊が内に宿っているとは言えない。こういう行いを持っていないということがすなわち聖霊が内に宿っていることの証しといえるということが説かれます。このあと、第2部ではこの肉の行いを持っていながら聖霊が内に宿っていると自称する人々について述べるということが予告され、短い祈りをもって第1部が終わります。
今回は第二説教集第15章第2部「パンはひとつ、皆はひとつ」の解説でした。次はこの試訳となります。一度でお届けするには長くもあるのですが、ちょうどよく切れるところがないので1回でお届けします。
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