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彼がPTSDを経てADHDと診断されて 〜①〜

注:つらい描写があります。DVやネグレクトなどの表現からフラッシュバックする可能性のある方はお気を付けください。

彼から掲載の許可を得て、書いております。
身バレをしないように気をつけていますが、何かあったら唐突に記事を消すかもしれません。ご容赦ください。

温かいお茶とクッキーでも食べて猫の動画を垂れ流さないと書けないのでそうしながら書いています。読まれる方ももしよかったらそうされてください。

①→彼の過去
②→PTSDについて
③→ADHDの診断と彼から学んだこと

という流れになってます。

彼については
この記事と、この記事で現在の様子を書かせてもらっています。(私についての記事もよかったら)

書く必要あるのかな、とか、色々悩みましたが、私は彼と出会って価値観がぐるっと変わり、人生が変わりました。私自身の気持ちの整理のためにも必要と思い書くことにしました。

記事にあるように現在の彼は、愛情表現が豊かで、私のことを深く深く愛してくれていて、お仕事もがんばっていて、明るく元気でウォーキング・デッドが大好きないいやつです。

……

今回は複数の記事に渡って彼の話をしようと思います。

彼は、父親がわかりません。
下に兄弟が二人いるのですが、二人とも父親が違います。
お母さんは外国の方で、多分お父さんも外国の方だということはわかっているみたいです。

彼のお母さんは女手一つで彼を育てるため、母国と日本を行き来しながら仕事に家事に育児にと、想像するだけでも大変な日々を送っておられました。

日本人でさえも、日本でシングルマザーは大変なのに、日本語もほとんどわからないまま日本に出稼ぎに来て、妊娠して、シングルマザーをすることになるなんて、子供がいない私には想像することしかできませんが、壮絶な日々だったと思います。

彼のお母さんはあるとき、男の人と出会い結婚します。彼の養父にあたる人です。その方も外国の方で日本と文化が大きく違い、苦労されてきたと思います。

彼の養父はとても暴力的でした。細かな描写は避けますが、私も聞くだけで夢にみそうなつらいことでした。

そして、彼は日本の学校に通うのですが、まず言葉がよくわかりません。日本語に触れてこなかったからです。日本語がわからない、というベースから小学校がスタートしました。

彼はとてもかっこいいのですが、それはやはり日本人的な顔立ちではなく、目立ってしまっていたようです。小中学校時代、友達はいたもののイジメもあったと言っていました。

彼は日本語を漫画で勉強し、必死に頑張りました。それでもつらい現実にグレてしまいます。

それは、定時制の高校に入って、あと半年で卒業ってなったところでした。

思春期の彼はご両親に対して沸々とした怒りがありした。荒れていた彼はご両親に怒鳴り暴れていたそうです。

なんで俺だけ!!!

彼の怒りは収まりません。荒れに荒れ狂います。なんどか警察沙汰にもなったそうです。

ある日ご両親は決心します。
彼に告げず、彼にバレないように引っ越し、彼に見つからないように戸籍の開示をできなくしました。

彼からしたら唐突に家族が自分を置いて消え去ってしまったのです。

捨てられた

彼はそう思いました。

高校に進級に必要な履修登録などの書類を出すことができず、担任に進められ、彼はあと少しのところで高校を自主退学しました。

家族を探しに、探し、やっと見つけたときには、彼はもうボロボロでした。
復讐と怒りだけが原動力でした。

ご両親と話し合い、一週間ならここにいていい、と家族と少しの間一緒に過し、彼は新たな仕事を探しにまた家を出ました。

このとき19歳でした。

そして、彼は市役所の勧めで生活保護の寮に入ることになります。

生活保護の寮があるってご存知ですか?
私は知りませんでした。
彼はあれは最悪な貧困ビジネスだったと当時を振り返っています。

生活保護を受給している人たちを集めて、住まわせ、生活保護費からたくさんのお金を取り、狭い部屋にぎゅうぎゅうに寝かすのです。ご飯はカップラーメン。若い彼は可愛がられたそうです。ここで彼はいろんな人と出会います。

薬をやってる人、やのつくお兄さん、歳をとったおじいちゃん。

いろんな人から話を聞き、彼はここにいちゃだめだ!早く抜け出そう!と思っていました。

そこから抜け出すために手助けしてくれた人がいてその人の力を借り、生活保護の寮から抜け出しました。

その人の会社に勤めるも、長くは続かず、住み込みで工場で働いてお金を貯めました。

(この工場で手に大きな怪我をし、その怪我の跡を見るたびにフラッシュバックが起きるという負の連鎖がありました)

彼は工場で一生懸命働いて、お金をためて一人暮らしをはじめました。ここから彼は、高卒認定試験を受けるために夜間高校に、通い出します。働きながら高卒に必要な残りの単位を所得して卒業しました。

途中、いろんな職を転々とし介護の資格を取り、介護士として働き出します。

結局一番長く続いたのは生活保護の寮から助けてくれた人の元で働いていたときが一番長く続いたそうです。

無事高校も卒業し、車の免許もとり、お仕事も順調に行き、お金もたまった頃、私と出会います。

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