Vol.10「目は閉じてますか?」
Illustration&picture/text Shiratori Hiroki
例えば真っ暗な部屋で目を閉じるとする。 すると目の前は予想通り真っ暗になる。当然のように思えて、不思議な気もする。真っ暗な部屋で目を閉じていても、色を感じることができる。緑と赤が混ざったような色がぐるぐると動いているように感じる。この色はどこからやって来たんだろうと目を閉じながら考える。
明るい部屋で目を閉じると意外にも同じようなことが起こる。これも不思議に思えてくる。なんだかこれは忘れちゃいけないのかもしれないと思い立って、半年前から色々な場所で目を閉じた記録を書き留めてみた。
「夜に寝室で」
常夜灯くらいの明るさの部屋で目を閉じてみた。部屋の隅にある本棚のりんかくがぼんやり見える気がして、家具の配置は容易に想像できる。知っている場所っていうものは心地がいいし、身体に馴染んでいるという実感もある。部屋の隅々まで、何があるなど考え込んでいると、クローゼットの奥だけが思い出せない。
正確には、ナイキのシューズボックスに入れた何かまでは思い出せる。目を開けて実際に、そこに何があったか確認して、安心したい気持ちもあるけど、眠たかったので寝た。あのシューズボックスには僕の青春のなんたらが入ってるに違いない。それを開けるにはもう少し先な気がする。
「駐車場のあるような薬局」
いい天気の休日は部屋の掃除をして家の中の消耗品を買いに行くことがある。たいていの場合、スーパーで事足りるものだけど、薬局は痒いところに手が届くものが置いてある。トイレットペーパー、詰め替え用のシャンプー、毎朝食べるヨーグルト、それと髭剃り。こういう消耗品を買い揃えるとシンプルな幸福感に満たされる。
ほとんどの買い物を済ませて、髭剃りコーナーで目を閉じてみた。どこで目を閉じてもそうだが他の感覚が敏感になる。改めて目を閉じてわかったことは、薬局特有の真っ青な蛍光灯は心地いいものではないと思う。
「坂の上にある小さな公園の夕方にて」
大学の帰り道、時間に余裕があっていい日だったなと思えるような日は最寄駅のひとつ手前で降りて、坂の上にある公園に行く。夕方だったから、西日で公園が赤く染められていた。いつも座るベンチに腰掛けると、西日が眩しかった。眩しいものを見たりすると、反射的に目を閉じる。
わたしはこういう時間が好き。社会からの接続を遮断して太陽のエネルギーを全身に浴びる。睡眠とか食事には得られないエネルギーをもらえる。目を閉じると太陽を見ていた時の斑点みたいなものが目を閉じても映った。時間の感覚が鈍くなるまで目を閉じていた。
「砂時計を眺めているときに、1秒を細かく考える時間なんてない。落ちていく砂が溜まっていって、気がつけば、3分が経っている。振り返ってどうやって僕はこの3分間を過ごしていたかを最近は思い出せない。そうゆう時間の感覚がどんどんと加速している。でも目を閉じた時、失われていく時間を思い出したりするのは案外悪いことじゃない。それは必要な分の友達と思い出が今までにあって、それは目を閉じればいつでもそこにあるということは、新しい刺激や感性について、受動的にアップデートする必要なんてないんだ。何度も同じ本を読むように、自分を大切にして、誰かを呼んでビールでも飲みたい。」
こんなエモーショナルな文章を書いて、僕は満足して家に帰った。今になって読み返したけど、全然何が言いたいかよくわからなかった。笑
たしか、平井堅「瞳をとじて」の中に印象的な歌詞があった。彼がたくさんのことを代弁してくれているので引用する。
不思議にも僕がどこにいて目を閉じても、何かを思い出したり、誰かを思ったりして、苦しくなるのは忘れないようにするためなのかもしれないと。確かに、忘れる方がよっぽど苦しいのかも。平井堅さんの歌詞は胸が熱くなりますね。あなたはだれを想って瞳を閉じますか?
INFORMATION
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?