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1. はじまり

 
次女と私の忘れられない日々のことを話そう。

青天の霹靂。
次女の不登校は、まさにそんな感じだった。

入学してしばらくは3歳上の長女と普通に登校していたのに、5月の連休が明けたころから、毎晩ベッドのなかで「明日、学校いきたくない」とシクシク泣くようになったのだ。そして、なだめながらなんとか学校へ送り出すという日が続いていた5月の終わり、次女はついに玄関から一歩も出られなくなってしまった。

どうして行きたくないのか、理由をたずねても「わからない」の一点張り。ただ、学校にいる時は「ずっとさびしい」のだと教えてくれた。

もともと人見知りで、外ではなかなか自分を出せない性格の次女。幼稚園は同級生が8人しかいない小さなところに通っていたのが、小学校ではいきなり40人学級になって環境の変化についていけなかったのだと思う。

今の私なら、迷わずに学校を休ませるという選択ができる。

でも、その当時の私は、周りの子どもたちが普通に登校しているのに、我が子が学校へ行けないということがどうしても許せず、泣いている次女を無理やり学校へ連れて行こうとしたり、「学校行かないならこんなもの捨てる!」とランドセルをゴミ袋に入れたりしたこともあった。

担任の先生には「無理に登校しなくていいですよ」としか言ってもらえず、どうしたら良いのかわからなかったし、なぜ自分の子は他の子のように普通に登校できないのだろう、自分の育て方の何がいけなかったんだろう、そんなことがグルグルと頭のなかで渦巻いて、湧き出すイライラを抑えられずにひどい言葉を次女にぶつけてしまったことも一度や二度ではない。小さな小さな彼女の心をどれほど傷つけてしまったのだろう。

「ねえ、もう学校やめようか。それで、ママと家で勉強してみる?」

ある日そう提案したのは、次女のためというよりも自分のためだったと思う。毎朝無理に次女を学校へ連れて行くことに疲れ果て、もうどうにでもなれ!という投げやりな気持ちが心の大部分を占めていた。

なにしろ、当時の私は朝が来るのが本当に憂鬱で、娘が傷つくような態度を平気でとってしまう自分自身が本当に嫌いで、そんな思いをするくらいならもう休ませてしまおうという感じだったのだ。



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