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2. あやまち

次女が学校へ行くのを嫌がるようになったばかりの頃、私にとって朝は1日のうちで一番苦痛な時間だった。前の晩に「明日は絶対に行く!」と約束した次女が、朝には「やっぱり行きたくない!」と泣きながら大騒ぎして、そのたびに裏切られたような何とも言えない苦い気持ちなるからだ。

ある日、「学校までついて来てくれたらちゃんと行く」と言う次女を、車で送ったことがあった。学校に行ってくれるならそれくらい大したことではない。

ところが、校舎から少し離れた駐車場に着くと、次女は「やっぱり行きたくない」とはらはら泣き出した。

ほら、まただ。行くって言ったのに、またうそついた。

そんな言葉を頭の中で反芻しながら、私は次女を抱えるようにして無理やり車から降ろした。すると次女は、あろうことか他の子どもたちが歩いて登校しているすぐそばで歩道に座り込み、まるで2歳児のように大きな声で泣きながら駄々をこねはじめたのだ。

そこからは、どんな言葉をかけても無理だった。
彼女はひたすら火がついたように泣き続け、からだ全部を使って「学校に行きたくない!」という気持ちを表現していた。

あのとき、どうしてすぐに彼女を抱き上げてあげなかったのだろう。優しく抱きしめて、「大丈夫だよ」と声をかければよかった。そもそも、無理やり車から降ろしたりせずに、「じゃあ今日は休もうか」と受け止めてあげれば良かったのだ。

けれど当時の私は、そんな簡単なことにも気づくことができなかった。
地べたに座り込んで泣き喚く次女を、引きずるようにして車まで連れて行くと、彼女を抱き上げてドスンと後部座席へ座らせ、私は無言のまま車を発進させた。

「いいかげんにしてっ! 約束したのにどうして行けないの!」

急ブレーキをかけて車を止めると、私は湧き上がる怒りに任せて大きな声で次女を怒鳴りつけた。車一台通るのがやっとという細い田んぼ道のど真ん中で。

「みんなができていることがどうしてできないの!どうして約束を破るの!どうしてみんなみたいに頑張れないの!どうして悲しませるの!」

どうして、どうして、どうして。
堰を切ったように溢れる言葉を、私は泣きながら彼女にぶつけ続けた。

ふと後部座席を振り返ると、そこには目に涙をいっぱい浮かべながら、小さな手でシートベルトをギュッと握りしめる次女がいた。一番味方でいて欲しかった私に傷つけられ、深い悲しみに沈んだその時の彼女の表情を、私はこの先もずっと忘れることはないだろう。


「ねえ、もう学校やめようか。それで、ママと家で勉強してみる?」

その夜、次女にそう提案したのは、傷つけてしまったことに対する罪悪感だったり、過ちを帳消しにしたいという思いだったりもあったと思う。そして、その時の次女の顔を、私はいまでもはっきりと覚えている。

顔中を不安でいっぱいにしながら、「いいの? がっこういかなくても、ママおこらない? みんなみたいにがんばれなくてもいいの?」と、次女は恐るおそる私に尋ねた。

「うん。もう怒らないし、満足するまでママと一緒にいよう。みんなとおなじじゃなくていいよ。そのかわりさ、学校やめたら毎日元気にすごしてね。ごはんもモリモリ食べて、早寝早起きして、楽しくすごそうね。」

そう言うと、次女はようやく安心したような表情になって、「うん、そうする。学校やめる。まいにち元気にすごすし、勉強もする」と笑顔を見せた。

そして、次女は私にぎゅっと抱きついて「ありがとう」と言った。

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