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ウェルビーングを半歩身近に引き寄せる

私のキャリアは、「生きていくために目の前の頼まれごとに取り組む」ことからスタートしました。

20代の頃は、様々な事情を抱えながら、サービス業界のいくつかの中小企業で事業部門に職を得ていました。

その仕事のなかで、また仕事外で置かれた環境のなかでの経験が相俟って、「人が幸せに働ける場をつくる」ことを自分の役割として生きていきたいという想いに至り、社会人8年目に人事へ転身しました。2007年のことです。

さて、人が幸せに生きるために、という文脈では、ここ10数年ぐらいの間に様々な知見が一般人の手に届くようになりました。

なかでも日本においては、慶應義塾大学大学院システムデザインマネジメント研究科の前野先生による研究がよく知られているのではないかと思います。

幸福学やウェルビーングという考え方は、いまや企業にとっても真剣に追究していくべき課題として認知されるようになり、人事部門や総務部門、ときには経営企画部門などが、従業員エンゲージメントや健康経営といったテーマを掲げて活動しています。

ただ、そうした活動の多くは、企画運営側にとっては「一見」真剣な取り組みでありつつも、それ以外の社員の方々にとってはどこか距離感のあるものにとどまっているのが現実ではないかと感じています。

それはなぜか?

私の仮説としては「目的意識の軸足がずれている」こと、そして「関係性の問題として対応できていないこと」に集約されるのではないか、と考えています。

シンプルに言えば、旧来の枠組みにおける「生産性」の向上をねらいに置いて活動をはじめてしまうとか、個々人のコンディション、個々の組織管理職のマネジメント力にばかり焦点を当ててしまい、組織のなかで人と人との間に起きていることにどんな変化を起こしたいかという視点が欠落している。だから芯を食った取り組みに発展しきらない、という話ではないかと感じています。

これらの詳細については、今後シリーズを立てて深めていきたいと思いますが、その入口として、本ポストでは私が「幸せに働く」というテーマを掲げるようになった背景とともに、働く人のウェルビーングをとりまく視点について考えてみたいと思います。

冒頭で触れたとおり、私はキャリア初期にサービス業界のいくつかの会社で、いくつかの職種を経験していました。そして流れついたのは情報工学領域の研究支援プロジェクトマネジメントのお仕事。やむにやまれぬ成り行きから、その事業のP/L責任も背負うような形にもなって。

そこは、それまでの会社と同様に従業員数500人に満たない中小企業であり、さらにオーナー創業社長のワンマン経営の会社でした。

そしてその事業部は大変ニッチなドメインで勝負しており、その内容の特殊性から営業その他の部門を介さずにワンストップで仕事をする構造になっていたこと、それでいて半数近くの発注元が会社の主力事業における優良顧客と重なっていたこと、そして社長特命でありながら長年にわたり鳴かず飛ばずが続いていた新規事業部門と損益を連結させられていたこと、という背景がありました。

これらの意味するところは、

・部門として抱える仕事がそれなりに専門的な内容を含み、かつ膨大なボリュームであったこと
・したがって質・量ともに十分な人員確保をしなければ回らない事業であったこと
・その一方で、主力事業における客先との関係性から、何があっても断れない仕事が頻繁に発生すること
・どんなに工夫して業績を上げても、稼ぎだした利益が連結部門に吸いとられてしまうこと
・そして社長の同族、長く忠誠を示し続けた古参社員、その他「特別な背景」を持つ一部の社員だけが、同社で一定の地位と報酬を手にする立場になれること

という状況下、簡単に言えば「どこからどう見てもブラック」な環境ですりつぶされる宿命を負う仕事だった、ということなのです。

普通に考えれば、こういう環境は「逃げるが勝ち」であり、入社後数ヶ月も経たずに辞めていったメンバーも大勢いましたが、私は何とか踏ん張って3年ほど「重い荷物を背負ってみる」ことを選び、それが今に至るキャリアにつながる道になりました。

このあたりの経緯についてはいずれまた改めて触れてみたいと思いますが、私に人事への道を拓いたのは、このときの経験がもたらした「どうすれば人が幸せに働ける場をつくりだせるのか」という問いでした。

当時は、その前職までにはなかった「大きな裁量感」のなかで、日々、自分なりの考えと行動でプロジェクトのたてつけ、進め方を決め、事業や組織のありかたに向き合える面白さを感じながらも、恐ろしいほどの仕事量、勉強量に押し潰されそうになり、道を歩いていても気を失ないそうなレベルで気力、体力の限界に挑んでいました。

その体験は一面においては、やりがいや成長痛とも言えるものではあったけれど、自分にとっても、ともに働く仲間にとっても、とてもじゃないけど持続可能とは言えないものでした。

ある時期から、私は同じ頃に中途入社した他部門の人と夜な夜な声をかけあい、今日の調子はどう?終電より前に帰れそう?と言葉を交わすようになっていました。

そんなある日、その相手が口にした、
「過労死みたいな大きな事件でも起きないかぎり、うちの会社はずっと変わらないだろう」
という言葉が、私のその後のキャリアの方向性を決めたのだと思うのです。

私たちの事業は、常に様々な顧客から大小の引き合いをいただき、ちょっと働きかければ既存顧客から新しいお客様も紹介してもらえるほど、相手のビジネスにとって「なくてはならない存在」としての立ち位置を得ていました。

もちろん競合は存在していたので、受注獲得においても利益獲得においてもギリギリの真剣勝負は求められてはいましたが、そこでの勝ち筋をある程度は定式化し、利益率と案件数を大きく伸ばして、会社への貢献もしっかりできていたという自負がありました。

それでも現実には過労死が目の前に迫るような環境があり、その解決に向けてどんなに動いても色々な圧力によって物事が前に進まない状況が続いていて。

その相手が口にしたように、まさに死人でも出さないかぎり、何も変えられないのではないかと、自分の無力を呪うようにして退職を決めたのでした。

そして次のキャリアを考えたとき、会社とは何か、人が働くとは何かという問いが私のなかで膨らんできました。

そもそも仕事が成り立つ、事業が成り立つというのは、そこに顧客がいて、マーケットがあって、その期待に応え続けられる活動が展開され、きちんと利益を稼ぎ出せているという前提があって。

そのために真剣に働く人たちが、労働時間という観点でも、給与処遇という観点でも、浮かび上がれない構造とは一体何なのだろうか、と。

どうすれば、業界や職種に関わらず、企業規模の大小にも関わらず、人が幸せに働ける場でいっぱいの社会がつくれるのだろうか、と。

あまりにも大きなテーマであり、自分ひとりの人生のなかで根本的な解決にはたどり着けないだろう、と。それでも、ほんの少しでも、その世界に近づくために一歩踏み出せることがあるとしたら?

そう思ったときに降りてきたのが、ひとりひとりの働く力を高めることからはじめてみる、というアイデアでした。

すなわち、働く人がしっかりとした仕事観を抱いて自分らしい成長を遂げられるような支援をすること、例えば人事として社員の方々の学び育ちの場を提供することを、次の仕事にできないか。そうやって、私のキャリアが新たな方向に動きはじめました。

そして個人の成長、組織の成長とは何か、そもそも成長とは何かを探究する過程で、幸福学やウェルビーングという考え方が広まり、自身の志に立ち返る機会を得たのです。

では、働く人の幸せを見つめる視点には一体どのようなものがあるのでしょうか。

そのヒントの一つが、前野先生のブログに記されたこちらの内容です。

日頃の生活のなかで意識的、無意識的にとっている行動や大切にする考えのなかに、それぞれが持つその人らしさの源泉を見出だすこと。それをリソースや持ち味として理解し、働く場において意図的に活用し合えるような関係性を築くこと。

これをダイバーシティ活用の文脈、エンゲージメント向上の文脈、人財育成の文脈など、どのような位置づけで捉えていくかは、環境に応じて色々なアプローチがあって良いのだと思います。

大切なのは、「どうすれば人が幸せに働ける場をつくりだせるのか」、それを起点により良い社会を生み出せるような事業をどう営んでいくのかという眼差しであり、そこから企業の活動設計をスタートするのだという意志を持つことだと考えます。

この意志をぶれない軸として活動を続けるのは、現実問題としてまだまだ難しいことも多いけれど、自分に与えられた大切な役割として仲間とともに歩み続けていきたいと思います。

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