初恋ブルース
夏の大三角形、いて座、さそり座、てんびん座、はくちょう座……。
たくさんの星座が頭上を覆っている。大きなプラネタリウムの半球型スクリーンに、無数の綺麗な星座が映し出されている。
そして、僕はそれらの綺麗な星空を眺めることなく、隣でスクリーンを眺めている好きな女の子を横目で見ていた。
無論、星よりも綺麗だったからである。
チラ見をしていると、目が合った。
にっこりと笑いかけてくる、かわいい。
僕は当時好きな女の子がいた。
初めて「好き」という感情を覚えたのだ。友達が「また同じ子と席が隣になったから、席代わってくれよ」と言われてなんとなく隣になった子だ。
全員が認めるようなかわいい子ではなかったと思うけれど、僕は好きだった。凄く笑顔が素敵だったのだ。その子の笑顔を見るために学校へスキップで毎日通ったぐらいに。
本当に毎日が楽しかった。
その子が近くにいるだけで、凄く嬉しかった。
嫌な奴がちょっかいをかけてきても、たまに学校に行くのが嫌だなと感じても、学校に行かないという選択肢は絶対に出てこなかった。
その子に会えないからだ。
それほど、単純な男にとって好きな女の子の存在は大きい。
社会科見学の帰りのバスが一緒になったときも、突っつきあって遊んでいた。バスの窓際についているカーテンにくるまって顔を隠してきたので「もう寝たの?」と言いながらめくってみると、顔を赤くしながら見つめてきた。目が合うだけでドキッとする。
あんなに純粋な気持ちがあるだろうか。好きという気持ち。
僕は、このときの感情がとても懐かしい。純粋な好きという気持ち。ただそれだけ、少しの狂いもない。
今は人を好きになったからといって「で、どうしたいの?」と思ってしまう。「好きだからただ一緒にいたい」と「結婚したい」と「子供が欲しい」は全く訳が違う。
いわばスキが何なのか分からなくなっている。
そう、こじらせているのだ。
現に大人達を見ていても、夫婦でいがみ合っていたり、お金の奪い合いになったり、親権を巡って争っていたり、本当に「何がしたいんだ」と思ってしまう。
加えて僕はまだまだ未熟だから、パートナーができたって長期で守ってあげられるか分からない。
好きって何なのか、自分はその人と何をしたいのかを明確にしていないと後で大変なことになってしまうんじゃないかなと思う。
契約みたいに実利に走りすぎてもだめだし、本能に任せていても大変なことになる。
家庭を守っていくって、そんなに簡単なことじゃない。
ただ後先のことは考えずに一緒にいたいだけなのか、遊びで付き合ってほしいのか、結婚したいのか、子供が欲しいのか、一生を共にするパートナーが欲しいのか。
これらは全く別物であるように感じる。
これらをよく考えずに、なんとなくで進んでいった人達が社会に飲まれて、自分達の人生が上手くいかなくなった原因をお互いに求めるようにしてぶつかり合っているのではないだろうか。
子供が、親が現実逃避をするための栄養源にされたり、婚期を逃したのをパートナーのせいにしたりと、大変なことになる。
僕一人が「こじらせたやつだ」と変に思われる分には別に全然構わないのだけれど、大半の人達が離婚してお互いを憎みあうようになったり、子供が不幸になっていったりしている事例がたくさん存在している現状を踏まえると、「好きって何なのか」「自分は結局その人と何がしたいのか」考える価値が大いにあるんじゃないかと思う。
「初恋は実らない」中学生のときに、母親にそう言われた。
小学校三年生のときに初めて女の子を好きになってからずっとその子を好きだったのに、「それ俺に言う?」と思ったけれど、今考えてみると確かにうなずける。
好きっていうこの純粋な気持ちは確かなのだけれど、「じゃあ結局何をしたいの?」と言われると困ってしまうのが実際のところだ。
「付き合いたい」はあまりにも漠然としすぎている。
「好きだから一緒にいたい」だけで許されるのは一体いつまでだろうか。
高校生? 大学生? 二十代? 三十代? 社会的に成功するまで?
あまりにもドライなこの現実社会で数十年連れ添っていくには、なかなか好きという純粋な気持ちだけで生きていくのは難しいだろう。
大して力もないのに勢いで子供を作って、育児放棄をしたり虐待をしたり、果てには子供が死んだりしているニュースが流れてくる。
いずれ帰ってくると分かっている遊園地に行くように、お互い短期的なものだと理解しているなら、お互い遊びとして付き合うことは可能なのかもしれない。けれど、冷やかしの関係ならばすぐに現実世界へ帰ってくることになる。
人と交際していた経験が浅い僕が言うのもなんだけれど、「好き」って本当に難しいなと思う。
恋愛ばかりに夢中になって人生を棒に振ることもあるし、逆に恋愛を全くしていないと寂しい人生になることもある。
自分の気持ちの正体が何なのかを分かっていないと、大変なことになる。
考えすぎの一言に尽きるかもしれないけれど、本当に、恋愛って難しい。
「好きだから傍にいたい」だけでは不十分だと思うのだ。
家族を守りたいのであれば力がいるし、中長期に渡って大切な人達を守ることはそんなに簡単なことじゃない。
「愛ができれば何でもできるさ」と思い続けることはそんなに簡単なことだろうか。
一家の大黒柱になるということや親になるということは、純粋な愛の気持ちだけではなく力がいる。家族を守り抜いていくには力がいるのだ。
この社会における「好き」っていったい何なのだろうか。
あなたにとっての好きって、何ですか? これを分からずに中途半端に動いても傷つけてしまうだけだ。
僕は恋愛が嫌いなわけではない。
二択で選べと言われたらゼロ秒で「好きです」と答える。
好きな子と話しているときのあの体がポカポカしてくる高揚感は、仲がいい友達といるときのあの幸福感や好きなことをやっているときの充実感とは全然違う。
だから、僕は将来結婚したいし、子供も欲しい。
でも、一人で自立して生きていくのさえやっとというこの社会で、一人の人と連れ添っていくのは、簡単なことじゃない。
僕達は生まれてから初めての一番純粋な恋を必ず実らないようにプログラムされているのかもしれない。
傷ついた経験をしてからが、本当の恋愛なのかもしれない。
純粋な好きという気持ちだけではやっていられないのだ。
でも、好きという感情のすばらしさは知っている。
何が起きたって幸せになれる、あの大きな幸福感。笑顔を見ているだけで、一生幸せになれだから、この感情は素晴らしいものだ。
町を歩いているカップルを見て妬んだことは一度もない。
全員仲良く幸せになれば、それでいいじゃないか。もし好きな子が友達と被ったとしても、正々堂々と勝負をすればいい。
僕も好きな女の子には気持ちを伝えて、その子と一緒に長く幸せな人生を歩んでいきたい。ただ、幸せにしたいなら自分には力がいる。
中身のない好き好きアピールだけするしょぼい男にはなりたくない。
太宰治はこう言った。
「人は恋と革命のために生まれてきた」と。
好きな女の子のことしか考えていなかった幼い頃の僕なら、「よく分かんないけれど、そうだよね!」というと思う。
好きな女の子をチラ見しながら。
しかし、今の僕はこのことについてじっくり考えている。僕は今後どんな人生を歩むのだろうか。
自分が好きになった女の子を幸せにできる人になっていたいなと、切実に思っている。男には責任があるから。好きって、難しいな。
小説が完成しました。
プロローグ(冒頭、導入部分)の無料試し読みが出来ますので、こちらの記事をチェックしてください。
小説全体では74,566字になっています。
方々から好評を頂いています、、!
ありがたい、、、、。
Amazonのリンク集です。
Kindle電子版で購入いただくと、これよりかなり安くなります。
「長いのは紙で読みたい」という声がたくさんあったので、ペーパーバック版を作成しました!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?