”やりたいこと”と”やりたくないこと”の間に、「やってもいいこと」があります
最近「ドリーム・ハラスメント」なる言葉を知りました。
どうやら「夢を持とう!」、「やりたいことを見つけよう!」といった一見ポジティブに聞こえる言葉が相手を追い詰めてしまうという意味のようで、夢も希望も持ちづらいこの時代に先生や上司から「キミのやりたいことは?」と問われても返答に困る人が増えているとのことです。
確かに世の中の成功者の多くは若いうちからやりたいことを明確に持っており、そこに向かって全力で努力することで卓越した成果を出しているので「やりたいことを見つけよう」というのは一理あります。
ただ、やりたいことが簡単に見つかれば誰も苦労しません。
自分が心の底からやりたいことに出会えるかどうかは「運」や「偶然」も大きく左右しており、見つけようと思って見つかるものではないと思います。
このときに下図のように「やりたいこと以外はやりたくないこと」という捉え方をしてしまうと、今の自分はやりたいことが見つからないので、やりたくないことを我慢してやっているという思考に陥ってしまい、「やりたいこと探し」をしているうちに疲弊してしまう恐れがあります。
世の中の多くの人は私も含めて「人生で一番やりたいこと」をしているわけではありませんが、かといってみんながみんな「やりたくないこと」を無理やりやらされているわけでもありません。
おそらく程度の差はあっても下図のように「やってもいいこと」をやっている人がほとんどかと思います。
自分のエネルギーを100%以上出せることを”やりたいこと”、自分のエネルギーが消耗してしまうことを”やりたくないこと”とすると、「やってもいいこと」は「夢中になって没頭するほどではないが、精神的に消耗することもないこと」と定義することができます。
私自身はお恥ずかしながら50年も生きてきて自分が本当にやりたいことは何なのか未だに分かりません。
最初に入社したマクドナルドも、今の仕事である人材育成コンサルタントも正直に言うと「やりたくて」その仕事に就いたのではなく、「やってもいいかな」と思って今日まで仕事をしているのに過ぎません。
ただ今の仕事も自分のエネルギーの50%~80%を注いでいるという感覚があり、それなりの充実感は持っています。もちろん肉体的な疲れはありますが、幸い精神的に消耗していくということはないため、この先も長く続けられると考えています。
たまたま幼少期に夢中になれるほどのめり込むことに出会えたらいいのですが、何が自分にとって夢中になれるものかはやってみないとわからないため、まずは「やってもいいこと」から色々やってみるといいかもしれません。
もしかしたらやっているうちに”やりたいこと”に変わっていく可能性もありますので、まずはやってみてもし精神的に消耗するようならやめてまた違うことを試すぐらいの軽い気持ちで臨んだほうがいいと思います。
そんなわけで、もし誰かに「やりたいことが見つかりません。。。」と相談されたら、「私もやりたいことなんてわからないので、やってもいいことをやっているだけですよ」と答えるようにします。(悩みの解決にはならないかもしれませんが)
孔子も天命を知ったのは50歳過ぎなので、10代から20代の方が無理に「やりたいこと探し」をしなくてもいいかもしれません。
今回もお読みいただきありがとうございました。
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