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【教育論】果たして黒板はいるのか

――確かに歴史的にも情緒的にも価値があるかもしれないけど、教育の現場に1番求められるのは機能的な価値だと思うので、考え直すのもありではないでしょうか。


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「果たして黒板はいるのか」というテーマで話していこうと思います。


◆黒板は必要なのか

普段は創作に関する記事を書いているんですが、実は僕は教育学部生で近々教育実習があるので、教育に関する記事を書いていきます。

学校の教室には黒板があります。教師はチョークで文字を書き、あるいは図表を描き、授業の展開に活かします。長らく使われてきたこともあり、見た目やチョークの音はどこか情緒的です。

ただ、よりよい教育を追求する上で、果たして黒板は必要なのかという疑問があがります。


◆黒板のメリット、デメリット

では、思いつく限り、黒板を使って板書をするメリット、デメリットを挙げていきますね。

まず、「授業の流れが可視化できる」ことはメリットでしょう。黒板は大きさがありますから、授業の流れを黒板ひとつにまとめることができます。めあて、内容、まとめ、振り返り……どのように学び、どんな学びを得たか、それさえ見れば分かるというわけです。良い授業は、板書が良いという話を聴きます。板書を侮ってはいけないのです。

ただ、そこに固執するのも正解ではないような気がします。

当たり前ですが、黒板に文字を書くわけですからそれなりに時間がかかります。一度の板書に1分、2分。それを学習者が写すのにまた1分、2分。それを繰り返していたら、授業時間はなくなってしまいます。文字を書く学習ならそれで構わないかもしれませんが、別の学習目標があれならばロスです。

毎時間、ロスタイムが募っていき、結局教科書の内容が終わらないという授業があったのではないでしょうか。僕も高校時代にそういうことがありました。やるべきではないことをやって、やるべきことが終わらないという本末転倒な現象が起きてしまうんですよね。その原因は、やはり板書にかかる時間にあるといえるでしょう。

だったら、スライドをつくって、スクリーンに映し出した方が良い。たとえ学習者に写してもらいたい事項があっても、教師が板書する時間は少なくとも削れます。


◆もはや歴史的な道具

黒板は明治時代頃に日本に輸入されたもので、1950年代に全国の学校現場に普及しました。それ以降、長らく黒板を使ってきたわけですね。

個人的には黒板は機能的な意味はもうなくなってきている気がします。情緒的な意味が強いと思いませんか?黒板と聞くだけで、在りし日の青春を呼び起こされますよね。懐かしさが染みついたアイテムなのです。

次回も黒板をテーマに話していこうと思いますが、どうやらアメリカでは既に黒板は使われておらず、もう過去のものらしいんです。歴史的な道具なのです。


確かに歴史的にも情緒的にも価値があるかもしれないけど、教育の現場に1番求められるのは機能的な価値だと思うので、考え直すのもありではないでしょうか。

こんな記事を書きつつも、実習では黒板を使わないかどうか迷っています。ただ、やっぱりやってみた方がいいなと思ったことはやってみた方が良いので、試してみようと思います。


最後まで読んでくださりありがとうございました。

20220829 横山黎



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