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初めて「ともだち」という存在を認識したのは幼稚園の時かな。



自分がどんな性格だったかは正直あんまり覚えていないけど
うさぎ小屋で ともだちが開けたままにしていたドアに気づかず
頭を強打しておでこから血が流れてきたことは記憶にある。



今でも私のおでこにはちっちゃい傷がある。



その時に一緒にいた「ともだち」。
その彼女とも今だに「誕生日おめでとう」の連絡をし合う仲にいる。


小学校へ入学と同時に
新しい場所への引越しが決まり、そのともだちとも離れ離れになった。
悲しかったけど
前みたいに沢山は会えなくなったけど

お母さんが運転する車に乗って会いにきてくれた。
私もお母さんが運転する車に乗って会いに行った。

それだけでも嬉しかった。










それから、
小学校に入学したと同時に
隣に住んでいる女の子と仲良くなった。
毎日一緒に小学校の登下校した。



でも
その子は私立の中学校へ行くことになったから
中学校では離れ離れになった。

家が近くでも、行く場所が違うこともあって中々会えなくなったけど
たまたま会う帰り道で
お互いの中学校について、友達について、彼氏について
話しながら帰ったことは今でも楽しい思い出。


そして時を経て、大人になって
同じ「推し」がいることも分かり
今では毎週のよう
わーきゃー言いながら
連絡を取り合っている仲です。
(人生って本当に繋がるものですね。)





それから高校時代。
ここでは部活の仲間、そして今一緒に暮らしてる子と出会った。




私は勉強はできない頭だったけど、
正直、それを凌駕するように 濃い時間を過ごした。



今となっては私のベースかもしれない、高校時代。
生きる上でいろんなことを学んだ。
彼氏がいなくても全然平気だった。
(強がりではなく本当にw)




そして大学時代。
女子大へ進学した。
ここでも心を許せる友人と出会った。



毎週あるチェペルの間、イエスさまのありがたい話を片耳に
隣のその子と一緒に
一つのイヤフォンを片方づつ付けて
音楽を聴いていた。(まるでカップルのようにw)


大学の卒業旅行でその子と二人で行った ハワイ。
この経験はずっと忘れない。 あの時間。あの空気。


今でもその子とは一緒に温泉へ行ったりする仲。
(その子は現在三児の母!!!)



でも時間を見つけて
ゆっくり、まったり過ごす時間は大切な時間になってる。



社会人になっても
いろんな経験を経て、
気を許せる同僚とも出会った。

仕事の愚痴、弱音、嬉しかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと…
仕事終わりのビールの美味しさも知ったよ。ありがとう。








考えると有難いことに
どの瞬間にも
心を許せる友人がいた。




心を許せるって今ここに書きながら
なんだろう?と考えてみた



今の私が考える「心を許せる」とは。



自分が
その子の前で泣けるかどうか、、、かな。
そしてこれを言って嫌われてもいいか           って思えることかな。
(本当は嫌われたくないけど。笑)


ん〜あと
その子の前では
何も考えてないっていうことも大きいかもしれない。


ただ一緒にいると笑顔になっているとかね😊



そんなこんなで私の「気の許せる友人」が出来上がった。





「その時」「その瞬間」に
一人でも
「この人の前では泣いてもいいかな」


そんな思える人との出会いが

私にとってはとても大切だった気がする。






というか
大切なんだな。

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