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映画『ボヘミアン・ラプソディ』感想

予告編
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過去の感想文を投稿する記事【55】


 本日は、”Queenの日” という記念日なんだとか。

来日40年を記念してユニバーサルミュージック合同会社USMジャパンさんが制定したそうな。
日付は初来日のために羽田空港に到着した1975年4月17日から。


そんな本日は、『ボヘミアン・ラプソディ』の感想文を投稿します。
もはや説明不要の超人気作。

そういえば次回の金曜ロードショー(4/21)も本作が放送されるみたいですね。
……まぁ個人的には、今でも定期的にリバイバル上映が行われている本作ですので、どうせなら劇場での鑑賞をオススメしたいところではありますが。


公開当時(およそ5年前)の感想ではございますが、読んで頂けたら嬉しいですー。


”映画” にできること


 Queenの楽曲は誰もが一度は耳にしたことのある超弩級に有名なものばかりですが、僕のような平成生まれ世代で、彼らのことが好きだと口にする者の数は、その知名度からするとやはり若干少ない気がします。まぁ「古い」だとか「キライ」等のマイナスイメージがあるわけではないのですが、単に流行りの楽曲の話題に押し負けているだけなのでしょうけれど。


 (当然、Queenの楽曲も大好きではありましたが、)父親の影響で元々オールディーズなどを好んで聴いていた僕は、幼い頃から同世代と話題を共有できない事実に対し、今更困惑したりすることはありませんでした。

……しかしまぁ、強いて言うなら、自分の大好きなアーティストたちを観に行ける・会いに行けるライブやコンサートという機会が与えられた友人たちのことを羨ましく思ったことはありました。

Queenを好きになった時には……、いやそれどころか僕が生まれた時点で既に、フレディ・マーキュリーはこの世を去っていたのだから。



 原曲を何度も聞き込む。PVや当時のライブ映像を繰り返し眺める。そんなことは幾らでもやってきましたとも。情報化社会となり過去のアーカイブにも簡単にアクセスできるし、大きい画面や良質の音響といったデジタル環境にも恵まれている時代ですしね。それで充分に楽しんでいました。満足していました。

本当のところは、満足していた気になっていただけなんだけど……。

 でも、ボクは賢いからね笑!! 「亡くなった人を生で観たい」、「肉声を聞きたい」だなんて不毛な願望は持ったりしなかった——そんな私の前に表れたのが本作でした。


 当時を知る人たちからすれば、生前を、本物を知らない若造の戯言なんでしょうけど、僕にとってはもの凄い衝撃だったんです。ラストの約20分——それは、何か物語が進むわけではない “ただのライブシーン” でしかなかったけれど、その “ただのライブシーン” は僕が居た劇場を、行けるわけがないと思っていたQueenのライブ会場にしてしまった

そっくりさんを用意したり、過去の彼らの映像を銀幕に投影するだけでは決して叶わない。時間をかけて彼らのドラマを描き、芝居や演出といった力で虚像や偶像でしかなかったはずのスクリーンの向こうの彼らに命を吹き込み、一瞬のまやかしではあるかもしれないけれど、実像としてのQueenを生み出してくれた、フレディ・マーキュリーを蘇らせてくれた、という喜び。役者ってすごい!音楽って、演出ってすごい!! 映画ってすごいっ!!! あくまでも作品に没入していたからこその錯覚だけれども、それこそ映画館という空間で味わっているからこその体験。これこそが、数ある “映画だからできること” のひとつなんじゃないかな。

……この感覚は、本物を見聞きしてきたQueenに詳しいオジサンたちにはわからない笑。詳しくない、或いは本物を拝めずにいた若い者たちだけの感覚・感動だから、共感してもらおうなんてこれっぽっちも考えてやしません。ただ、そういった解釈でもしないと、ラスト約20分の激アツ超盛り上がりのライブシーンで涙を抑えきれなかった理由の説明がつかないんです。



 曲が流れる度に胸が高鳴るこの映画は、ドルビーやIMAX、っていうか少なくとも映画館で観ないと勿体ない。彼らのライブを観に行ける機会なんて他には無いのだから。



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